飯塚繁雄さん「工程表を示して」何度も訴え
「諦めるわけにはいかない」病と闘いながら救出活動に心血
北朝鮮による拉致被害者の救出活動に、家族会2代目代表として先頭に立って尽力してきた飯塚繁雄さんが18日、亡くなった。集会では、口癖のように「工程表を示して被害者を取り戻してほしい」と政府に具体的対応を求め続けた飯塚さん。その願いは届くことなく、救出活動は次世代に引き継がれることとなった。
飯塚さんはこの数年、病気と闘いながらも、家族会代表として岸田文雄首相と面会するなど、多くの活動に心血を注いできた。体調には波があり、集会を途中退出することも増えたが、それでも「解決を諦めるわけにはいかない」と、薬を飲みながら奪還を求め続けた。
緊急入院する直前の11月13日にも、東京都内で開かれた集会であいさつ。「総理大臣や拉致問題担当大臣が目まぐるしく変わり、そのたびにお願いをしてきたが、結果が出ない」と無念がり、「解決に向けた日程表を作り、答えを出してほしい。われわれが諦めないことこそ解決につながる」と訴えた。いつもと変わらない、はっきりとした口調だった。
飯塚さんが家族会の2代目代表に就任したのは2007年11月。当初は「3年だけ」という約束だったが、亡くなる1週間前まで14年間、代表としての重責を担い続けた。拉致問題の早期解決を願い、救出活動を次の世代に引き継ぐことは避けたいとの思いがあった。
妹の田口八重子さん=拉致当時(22)=について、「写真を見るとかわいそうでならない。『助けてあげられなくてごめんなさい』との思いが、年を取るごとに強くなっていく」と口にしていた飯塚さん。自分の子として育てた耕一郎さん(44)を母親の八重子さんに会わせたいと願い続けてきたが、見届けることはかなわず、83年の生涯を閉じた。