車いすバスケ鳥海選手、世界の壁乗り越えた銀


飽くなき挑戦で米を追い詰める進化、攻守の要として活躍

車いすバスケ鳥海選手、世界の壁乗り越えた銀

米国との決勝戦で攻める鳥海選手(左)=5日、有明アリーナ

 東京パラリンピックの車いすバスケットボールで史上初の銀メダルを決めた男子日本代表。攻守の要として活躍した鳥海連志選手(22)にあるのは、飽くなき挑戦心だ。「世界の壁」を痛感し、一時は競技をやめようとも思ったが、チームは強豪米国を追い詰める進化を遂げた。挫折からはい上がった自分に掛ける言葉は「続けてくれてありがとう」。若い横顔に自信がみなぎっていた。

 生まれつき両手指に障害があり、3歳で両下肢も切断手術したが、両親と保育園長の教育方針が後の生き方を決定付けた。「無理、危ない、やらせないは一切言わず、一度はチャレンジさせる。できなければ方法を考えろ」が原則。「まずはトライ」が鳥海選手の人生の軸になった。

 中学1年で車いすバスケに魅了された。「自分が初めて競技者として楽しめる感覚があった」。車いす操作を一から学び、指が2本の左手でドリブルを繰り返した。「同世代で一番練習している自負」さえあった。

 リオデジャネイロ大会では、チーム最年少の高校3年で代表に選出されたが、結果は9位。「これだけやってもうまくいかないのか」。世界の壁を実感し、競技から離れることも頭をよぎった。

 神奈川県の強豪チームに環境を変え、目指した東京大会。世界に通用するスピードとディフェンスに磨きを掛け、苦手だったシュートも強化した。

 東京パラには、「わくわく感」を持って臨んだ。準決勝で英国を破り、目標のメダルが確定すると、こみ上げる涙を抑え切れなかった。5日の決勝では、リオ大会王者の米国の動きを封じ、リバウンド数は18回とチーム随一の活躍を見せた。

 逆転負けを喫し、米国との差は「近くない」と悔しさをにじませたが、ディフェンスから流れをつくる日本のバスケは「世界に通じる」と評価した。大会後は「プレーヤーとしての価値を知りたい」と海外リーグへのチャレンジも視野に入れる鳥海選手。挑戦は終わらない。