岡崎愛子選手、「できる」を積み重ねた日々
JR福知山線脱線事故で負傷、アーチェリーでパラ初出場
「脱線事故の被害者ではなく、挑戦者としての自分を見てほしい」。東京パラリンピックアーチェリー女子個人(車いす)の岡崎愛子選手(35)は、そう願いながら弓を引く。「できること」を積み重ねてたどり着いた舞台。準々決勝で予選トップの強豪選手と接戦を演じ、前向きな姿を世界に示した。
2005年4月のJR福知山線脱線事故。大学2年の岡崎選手は、先頭車両に乗っていた。首の骨が折れ、頸髄(けいずい)を損傷。直後は呼吸も満足にできず、死を覚悟した。入院期間は負傷者で最長の377日。下半身の感覚は戻らず、握力や体幹機能もほぼない。動かない体を受け入れられず、涙をこぼしたこともあった。
その後、死を意識した時に感じた「人生は長さより生き方」という思いは強くなった。できないことは増えたが、嘆かず、できることやできる方法を考えた。視点を変えると、差し伸べられる助けの手が多いことにも気づき、心が軽くなった。
ただ、自分や家族を哀れみや暗いイメージで見られるのはつらかった。車いすでもできることがあると示し、レッテルを剥がしたかったという。
大学に戻り、卒業後は就職して東京で1人暮らしも経験した。07年に日本で初めてできた脊髄損傷者専門のジムに入り、失われた機能の回復に挑み続けている。
東京大会の開催が決まり、13年に母の勧めでアーチェリーを始めた。初めて触った弓は引くことすらできなかったが、滑車により弱い力でも引くことができる「コンパウンド」で練習すると、矢は50メートル先の的に突き刺さった。口や肩で弓を引く選手もおり、補助する装具の使用も認められている。工夫によって「できること」を増やす競技性に魅了された。
「変えられない過去に縛られたくない」。積み重ねてきた日々を振り返り、「事故がなければと思うことはなくなった」と語る。被害者ではなく「トップアスリート」としての姿を見せつけた。