パラ射撃の水田光夏選手、気力で支えた初舞台
試合中の呼吸困難実力で出せず、悔し涙を見せ雪辱を誓う
東京パラリンピック混合エアライフル伏射(運動機能障害)で、障害のより重いSH2クラスに初出場した水田光夏選手(24)=白寿生科学研究所=。試合中、記憶を失うほど呼吸が苦しくなり実力を出せなかったが、気力で最後まで撃ち切った。
中学2年の春、シャルコー・マリー・トゥース病と診断された。四肢の感覚や筋力が低下する進行性の難病。3カ月後には車いす生活になった。
病の宣告にも「少し不便になるな」と落ち着いていたが、高校2年で急に引きこもった。ふさぎ込む娘を元気づけようと、母光美さん(54)が連れ出した先が、パラ射撃の体験会だった。
「これならできるかも」。18歳で銃の免許を取得し、競技を始めると、わずか1年で日本選手権2位に。2019年の世界選手権でパラ出場を決めた。
武器は動じない心の強さ。「世界大会も普段の練習場も、的までの距離は同じ」と語り、静止が重要な射撃には「動かない部分が多い私の体はメリット」と言い切る。
今大会も緊張はなかったが、試合中に呼吸が苦しくなった。昨年から肺の不調で練習時などに酸素吸入をしていたが、本番では認められなかったという。
苦しみながらも気力を振り絞って戦った。そんな娘を見守ってきた光美さんには、忘れられないシーンがある。
水田選手が最後に走った中2の運動会。病気の痛みから個人競技は欠場したが、クラスリレーは完走して1人抜いた。「自分のことより、他人のためなら頑張る子なんです」
クラウドファンディングで資金を集め、競技用車いすを新調して臨んだ初舞台。試合後は「期待に応えられなかった」と悔し涙を流し、「この先の結果で返す」と雪辱を誓った。