14歳世界に船出、亡き父へ「カッパになったよ」


パラ水泳で銀メダルを獲得した水の申し子、山田美幸選手

14歳世界に船出、亡き父へ「カッパになったよ」

競泳女子100㍍背泳ぎ(運動機能障害S2)決勝で泳ぎを終えた山田美幸=25日、東京アクアティクスセンター

 「この船に乗ってみたらどうだ」。そう言って世界へと背中を押してくれた亡き父にささげるメダルだ。パラリンピック女子100メートル背泳ぎ(運動機能障害S2)で、日本勢最年少となる銀メダルを獲得した山田美幸選手(14)=WS新潟=。堂々と泳ぎ切り、「めっちゃ楽しみました」と満面の笑みを浮かべた。

 競技生活を支え、2019年に病気で亡くなった父一偉さんの口癖は「お父さんはカッパだった」。レース後の取材に「頑張ったよ。私もカッパになったよ」と言葉を詰まらせた。

 生まれつき両腕がなく、脚にも障害がある山田選手。幼少時に水泳を始めると、すぐに頭角を現した。コーチの野田文江さん(79)は「水中では障害がないと思うくらい。まさに水の申し子」と語る。一偉さんは練習を送迎し、応援に行けない試合では、必ず駅まで送り、声を掛けたという。

 障害の重さもあり、合宿や遠征が増える本格的な強化指定を受けることには家族内で議論があった。それでも19年1月、一偉さんは決断する。関係者の説得に「皆さんがここまで言ってくれるなら、この船に乗ってみよう」と娘に語り掛けた。

 当時、既に肺がんの診断を受けていた。後援会の準備中、病を打ち明け、言葉を失う野田さんらに「大丈夫。あの子はやれる」と託した。手術を控えた同5月、自宅で倒れ、息を引き取った。

 山田選手もショックは隠せず、技術指導を担当する岡野高志さん(45)は、プールを離れたまな弟子を待った。1カ月余りたち、「水泳を続けたい。気持ちが湧いてきた」と切り出した山田選手。それからは父のいないつらさを人前で見せたことは一度もないという。

 将来、海外の人と話すため、英語を熱心に勉強する中学3年生。今大会では50メートルにも出場を予定し、金メダルを目指す。