日本の障害者スポーツ、上皇陛下が礎を築く
64年パラ後国内大会を提案、国民意識のさらなる変化を
天皇陛下が名誉総裁を務められる24日開幕の東京パラリンピック。歴史をひもとけば57年前、当時皇太子殿下だった上皇陛下が名誉総裁を務められた1964年の東京大会が、日本の障害者スポーツの夜明けとも言える転換点だった。
東京五輪・パラリンピック組織委の理事で、障害者スポーツの歴史に詳しい日比野暢子・桐蔭横浜大教授(スポーツ政策学)は、64年大会を「関係者の意識を変えた大会」と位置付ける。
64年11月8日に開幕した大会は、第1部の国際大会、第2部の国内大会で計7日間行われた。上皇陛下は国内大会の開会式で「わが国ではなお不十分といわれる身体障害者に対する正しい理解を深め、関心を強めるため非常に良い機会であると思います」とごあいさつ。大会後、関係者をねぎらった場で「このような大会を国内でも毎年行ってもらいたい」と述べられた。
これを契機に、翌65年から全国身体障害者スポーツ大会(現・全国障害者スポーツ大会)が毎年、全国各地で開かれるようになり、上皇陛下御夫妻はほぼ毎回御出席。平成の初めに当時皇太子殿下だった天皇陛下が引き継がれ、令和になって秋篠宮御夫妻が継承された。
上皇陛下は退位前最後の記者会見(2018年12月)で「障害者自身がスポーツを楽しみ、それを見る人も楽しむスポーツとなることを願ってきました。パラリンピックをはじめ、国内で毎年行われる全国障害者スポーツ大会を、皆が楽しんでいることを感慨深く思います」と語られた。
上皇陛下の障害者への思いは天皇陛下にも継承されている。陛下は18年6月、赤坂御用地で、視覚障害者女子マラソンの道下美里選手(44)の伴走を行われた。
リオデジャネイロ大会銀メダリストで、今大会にも出場する道下選手は、17年秋の園遊会に招かれた際、陛下に一緒に走ることを提案。陛下がパラリンピック競技について「私自身も理解するいい機会」と快諾され実現した。陛下は書物や動画を見て事前に準備し、約2・3㌔にわたり声を掛けながら道下選手をリードされた。
日比野教授は「皇室の支えもあり、障害者に対する国民の意識は変わってきている。今大会が、さらに広く国民のその意識を変化させるものになってほしい」と期待を寄せている。