敷根崇裕選手、直感信じた独自のスタイルを磨く


意表を突く天才肌のフェンサー、メダルには一歩届かず

敷根崇裕選手、直感信じた独自のスタイルを磨く

フェンシング男子フルーレ団体準決勝のフランス戦で、攻める敷根崇裕選手(右)=1日、千葉・幕張メッセ

 フェンシング男子フルーレ団体の敷根崇裕選手(23)=ネクサス=。天才肌のフェンサーは、自ら編み出した独特のスタイルを武器にメダルを狙ったが、一歩届かなかった。

 「めちゃくちゃなフェンシングをするなあ」。後に東亜学園高(東京都)で指導することになる田中新吾さん(51)は、同校の1年生だった敷根選手の試合に衝撃を受けた。剣を真っすぐ突き出す構えが「王道」だが、敷根選手は剣を持つ手を引き、剣先を下げていた。得点は伸びず、「そりゃそうだよ」と思った。

 当時の監督、佐藤友則さん(68)は、敷根選手の構えは既に確立されていると考え、無理に直そうとはしなかった。半年もするとスタイルそのままに、試合で結果を出すように。佐藤さんは「今ではそのスタイルが、外国人選手の意表を突くまでになった」と話す。

 父はフェンシングの元日本代表コーチで、幼い頃は一つ上の兄と剣で遊んだ。独特の構えは父の教えを基に、自ら編み出した。

 納得いかない練習には見向きもせず、体づくりもしない。それでも、直感を信じてたどり着いたスタイルと、「圧倒的」と評されるセンスを武器に、世界のトップフェンサーへと駆け上った。

 我が道を行く敷根選手だが、フェンシング界のレジェンド、太田雄貴さんの助言は別だった。「才能は磨かないとだめだ」。銅メダルを獲得した2017年の世界選手権後、不調に陥った時に掛けられた一言を契機に、ランニングなどのトレーニングにも取り組むようになった。

 4位に終わった個人戦の雪辱を果たそうと臨んだ団体戦。準決勝で格上のフランスに競り負けたが、敷根選手は日本のエースとして、果敢な攻めで得点を重ねた。