「奈落の底」から登った柔道の原沢久喜選手


リオ五輪後絶不調に、仕事を辞めてスポンサー探しも経験

 

「奈落の底」から登った柔道の原沢久喜選手

柔道男子100㌔超級準決勝で敗れた原沢久喜(右)=30日、日本武道館(時事)

 柔道男子100キロ超級、原沢久喜選手(29)=百五銀行=は銀メダルを獲得したリオデジャネイロ五輪後、絶不調に陥った。仕事を辞め、スポンサー探しも経験。「奈落の底」からはい上がり五輪に挑んだが、銅を懸けた3位決定戦で敗退した。

 早鞆高(山口県)の恩師、中村充也さん(59)は2016年のリオ五輪までを競馬に例え、「最後の4ハロンを末脚の切れるサラブレッドのように駆けた」と振り返る。高2まで実績はなく、「就職組」だったのが、全国大会でベスト16に入ったことから日大へ。日本中央競馬会(JRA)所属で迎えた15年に全日本選手権を初制覇すると、リオへ一気に突き進んだ。

 しかし、17年の全日本で絞め落とされ、直後の世界選手権は初戦敗退。心身の慢性疲労オーバートレーニング症候群と診断された。

 「仕事辞めます。スポンサーを探して東京に懸けます」。年が明けた18年の正月、原沢選手は中村さんに決意を打ち明けた。中村さんは「奈落の底まで下がったんだから、あとは上がるしかねえぞ」と励ました。母敏江さん(59)は「もう一度はい上がっていく」と告げられた。

 1年前に苦汁をなめた全日本で日本一に返り咲き、流れを呼び込んだ。この試合を最後にフリーに。約1年後、現在の所属先が決まった。

 中村さんは「少しずつ上がれよ。結果は気にするな」と声を掛けてきた。結果にこだわった五輪。3位決定戦は、リオの決勝で負けた仏のテディ・リネール選手(32)と再びまみえ、敗れた。