晩成の勝負師・浜田尚里選手、なお成長途上


寝技のスペシャリストが金メダル、20代後半から頭角現す

晩成の勝負師・浜田尚里選手、なお成長途上

当時鹿児島南高監督だった吉村智之さん(前列左端)と1年生の浜田尚里選手(最後列左から3人目)。浜田選手は高校総体予選はメンバーに入れず、ジャージー姿だった(吉村さん提供・時事)

 五輪の柔道女子78キロ級に、寝技のスペシャリスト浜田尚里選手(30)=自衛隊=が初出場し、金メダルを獲得した。勝負度胸があり、20代後半から頭角を現した大器晩成型。異色の柔道家はなお成長を続ける。

 寝技を手ほどきしたのは、鹿児島南高時代の恩師、吉村智之さん(45)=現・国分中央高監督=。強豪選手が集まらない中、九州で、全国で勝つにはと考えた末、努力が物を言う寝技にたどり着いた。

 浜田選手は九州大会すら未経験。吉村さんは「今の教え子が当時の尚里と10回やったら20回勝てるぐらい弱かった」と表現する。目標は「九州制覇」。本格的に寝技の指導を始めたのは高1の夏。ただし、覚えは悪かった。「すぐ覚える子は3日後にはやっていない。1カ月後にやっているのは尚里だけ」と、吉村さんは振り返る。

 道場に一番乗りし、よく寝技のビデオを見ていた。少しずつ力を付け、高2で九州大会を制した。ただ練習日誌の目標欄は空白に。「日本一じゃないの?」「まだ分かりません」。沈思黙考の末、「日本一」と書いてきたのは1週間後だった。

 普段は蚊の鳴くようなか細い声。しかし畳の上では、人が変わったように闘争心をむき出しにする。寝技で一本勝ちするか、立ち技で一本負けするか。はっきり試合結果が分かれた。

 山梨学院大時代の恩師、山部伸敏監督(52)も「勝負度胸があり、恐怖心がない。圧倒的に勝つか、圧倒的に負けるかだった」。寝技に持ち込めばかなう者なしだが、大学でも優勝経験はない。「ウサギとカメで言えば、尚里はカメ。マイペースに4年間やった」と語る。

 粗削りの柔道が変わったのは自衛隊入隊の数年後。立ち技や組み手の強化で台頭し、28歳で世界一に。吉村さんは「今を見て、今を精いっぱいやってきたのが尚里」と言う。山岸監督も「ピークは人それぞれだが、今も尻上がり。本当に大器晩成です」。ついに30歳で大舞台に立ち、4試合全てを寝技で決めて頂点に立った。