全盲の八木さん、ブラインドマラソンの普及を


伴走者育成など取り組む、都庁前で聖火の「トーチキス」

全盲の八木さん、ブラインドマラソンの普及を

歌舞伎俳優で都内最終ランナーの中村勘九郎さんに聖火をつないだ、視覚障害者の八木陽平さん=23日午後、東京都新宿区(時事)

 東京五輪の聖火リレー最終日の23日、全盲の八木陽平さん(56)=東京都新宿区=が、終着地の都庁前で聖火を重ね合わせる「トーチキス」を行った。ランニングの魅力に取りつかれ、一時はパラリンピックを目指した。聖火ランナーとして公道を走ることはかなわなかったが、視覚障害者によるブラインドマラソン普及の願いをともしびに込めた。

 3歳の時に緑内障を発症。失明して盲学校に通ったが、「やりたいことをやる」タイプだった。駅伝や野球のラジオ放送に熱中する一方、物理を学ぼうと全盲者の受け入れ可能な大学を探し、1983年に国際基督教大に入学。周囲の助けで実験をこなし、米国の大学院で研究を続けた。

 ランニングを始めたのは帰国して働き始めてから。当初はダイエットのためだったが、91年に挑戦したホノルルマラソンで「さんざんな結果だったが、走り終わった後に達成感があり、さらにいいタイムで走りたい」との思いを強めた。

 視覚障害者の練習会に参加。パラリンピックを目指してトレーニングを本格化させ、フルマラソンで3時間を切るタイムが出せるまでになった。

 ロープを握り合って走り、「目」となってくれる伴走者の存在も励みとなった。「競技であれば伴走者はチームメートだ。コミュニケーションを取ることで世界が広がる」と話す。

 年齢を重ねて競技志向は弱くなったが、現在も楽しみとしてランニングは継続。日本ブラインドマラソン協会の理事を務め、練習会の開催や伴走者の育成に取り組んでいる。

 ただ、地方では伴走者はまだ少なく、新型コロナウイルスの影響もあり「(視覚障害者が)家にこもりがちになっている」と懸念する。「一人では難しくても、風を感じて走るのは爽快だ。伴走者を増やすことに貢献したい」と意気込む。

 聖火到着式では息子の大学生、健太さん(19)がガイドを務め、最終ランナーの歌舞伎俳優、中村勘九郎さんに聖火をつないだ。「良い思い出になった。新型コロナで難しい問題もあるが、スポーツの感動で皆が前向きになれたら」と期待した。