外国人選手の「おもてなし」精いっぱいに
64年大会の選手村職員、無観客「五輪見直しの契機に」
大半の会場で無観客開催となる異例の東京五輪の開会まであとわずか。1964年の前回東京五輪で選手村本部職員を務め、外国人選手の「おもてなし」に奔走した三枝勝さん(85)は、「訪れた選手たちに日本に来て良かったという気持ちを持って帰ってもらえれば」と期待する。
東京ガスに勤めていた三枝さんが語学やスポーツの経験を買われ、大会組織委員会に出向を命じられたのは64年3月ごろ。選手村に配属され、式典と売店の担当になった。開村式では運営を任され、その後は各国の選手団が到着するたびに入村式の打ち合わせをした。「知らず知らずのうちに93カ国の方と交流できました」と懐かしそうに振り返る。
東西ドイツ(当時)や台湾の選手団とのやりとりでは、国旗やプラカードをめぐり、スポーツと政治の難しい関係も目の当たりに。一方で、時間にルーズだったり、驚くほど気さくだったりする外国人選手たちに接し、会社員生活では得られなかった体験ができたという。選手村にインタビュールームの設置を提案したのも三枝さんで、取材を仲介したマラソンのアベベ選手(エチオピア)と撮った写真は一生の思い出だ。
新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、今回は開村式や入村式は行われない。三枝さんは「残念だし、運営側は本当に大変だと思う。選手にはとにかくベストを尽くして、スポーツの良さを見せてほしい」と話す。
一方で、64年当時と比較して「プロ化、商業化が行き過ぎているのではないか」と五輪の在り方を疑問視する。「前回東京五輪はアマチュアリズムの絶頂期だった。無観客開催を契機に五輪をあるべき姿に是正し、スポーツそのものの良さを楽しむようになれば」と望んだ。