いだてん金栗四三と玉名市
日本のスポーツ力向上へ
玉名市立歴史博物館こころピア学芸員 村上 晶子氏に聞く
NHKの大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」の主人公の一人、金栗(かなくり)四三(しそう)は熊本県和水町で生まれ、後半生の多くを玉名市で暮らした。金栗が名誉市民第1号の玉名市では、1月12日に「いだてん大河ドラマ館」がオープン。日本の近代スポーツ史に大きな足跡を残した金栗四三とふるさとについて、玉名市立歴史博物館こころピア学芸員の村上晶子さんに話を聞いた。
(聞き手=フリージャーナリスト・多田則明)
選手の裾野広げた大学駅伝
女学生の教育にも尽力
金栗四三が大河ドラマの主人公になるとは?

むらかみ・あきこ 玉名市生まれ。金栗四三と同じ熊本県立玉名高校を卒業し、鹿児島大学法文学部で中世史を専攻、熊本大学大学院文学研究科国史専攻を修了。昭和60年に玉名市史編纂室に入り、現在は市立歴史博物館こころピア学芸員。
予想していませんでした。金栗さんは玉名市の名誉市民なので、本館でも平成12年に遺族から遺品の提供を受けて企画展示をし、以後、毎年、金栗杯玉名ハーフマラソンに合わせて、「日本マラソンの父」、地元の偉人として顕彰を続け、ストックホルムオリンピック100年の2012年には展示会を開きました。しかし、まさか大河ドラマの主人公になるとは思っていませんでした。地元の皆さんもびっくりしたと思います。
昨年5月の地元ロケでは多くの市民の方が参加しました。
多くの方がエキストラに応募して、とても楽しくロケに参加したようです。
何度も挫折しながら立ち直り、次の目標に向かう金栗さんを支えた女性たちがいました。
金栗さんは玉名市の池部家に結婚して養子で入りますが、ほとんど東京暮らしでしたので、夫人とは別居状態が長く続きました。それでも、夫人や養母は金栗さんのことを理解し、物心両面で支えています。それがあったからこそ、東京であれだけの活動ができたのだと思います。
金栗さんは教職に就いてはいましたが、各地に遠征したりする経費は給料だけでは足らず、家からかなりの仕送りを受けていました。金栗さんが養子に入った池部家は玉名の地主で、それだけの財力があったわけです。
嘉納治五郎との出会いも大きかったですね。
生家から小学校までの往復12キロの駆け足通学がマラソンの基礎になったのは確かですが、その後、東京高等師範に進み嘉納治五郎校長に出会ったことが、金栗さんをマラソンの道へと向かわせます。嘉納校長から近代スポーツの在り方についていろいろ学んだことが、金栗さんの生涯を決めたように思います。人間形成のためのスポーツという嘉納の考え方や生き方に共感し、金栗さんもスポーツの世界に入っていったのでしょう。
東京高等師範に進み、教育者になったことも大きかった。
そうですね。教育者になって後進を育てるようになります。特に、それまで運動に馴染んでいなかった女学生のスポーツ教育に尽力しました。
金栗さんはオリンピック出場などで世界のスポーツを見てきています。ストックホルム大会でも女子の競技があり、多くの女性がスポーツ観戦をしている光景も目の当たりにしています。その後、アントワープ大会とパリ大会に出場した時も、ヨーロッパ各地を巡り、女性がスポーツを楽しんでいるのを見て、日本でも女性のスポーツ教育が必要だと感じたのだと思います。日本人のスポーツ力を向上させるには、男性だけでなく女性の体力を高めることが不可欠だと考えるようになったのでしょう。
女学生と一緒に富士登山もしています。
テニスやマラソンもしています。最初は親御さんたちから、お転婆になる、色が黒くなってお嫁に行けなくなるなど反対されたようですが、金栗さんは根気強く説得しています。スポーツを通して女子の体力が向上し、朗らかになることで、成績も良くなっています。そうした成果を見て、周りの人たちも次第に理解するようになりました。
金栗さんは、マラソン選手育成のため駅伝を発想します。
マラソンは一人で走る孤独な競技ですが、それをチームを組んで一緒に走るようにすれば、競争心が高まり一体感が芽生え、選手層のすそ野が広がるのではないかと考えたのです。とりわけ大学間の対抗駅伝になると、ライバル意識が高まりますから。
晩年の金栗さんは、健康マラソンの普及に尽力します。
1972年に結成された「熊本走ろう会」の初代名誉会長になるなど、年配者の健康スポーツに力を入れています。新婚当時の夫人への手紙でも、健康のため体を動かすよう勧めています。
心温まるエピソードが、ストックホルム大会から55年の1967年に、スウェーデンオリンピック委員会から記念行事に招待されたことです。ストックホルム大会での金栗さんは、「消えたマラソン選手」として大きな話題になりましたから。
レース半ばで暑さのため意識を失い、途中棄権になっていた金栗さんにゴールテープを切らせてあげたいという、スウェーデンオリンピック委員会の温かい気持ちですね。そのため、当時、ストックホルムではいろいろな人が金栗さんを探していて、最終的に招待状が届き、75歳の金栗さんが応じたのです。
半世紀ぶりにストックホルムの五輪記念陸上競技場を訪れた金栗さんは、大観衆の中で10メートルほど走り、ゴールテープを笑顔で切りました。すると、「日本の金栗選手、ただ今ゴールイン。記録は通算54年と8月6日5時間32分20秒3。これをもって第5回ストックホルムオリンピック大会の全日程を終了します」という場内アナウンスが流されたそうです。
とても好意的ですね。
金栗さんが初参加した時も、アジア初のオリンピック参加国としてとても歓迎されました。その日本のマラソン選手がレース途中で行方不明になったので大きな話題になったのです。
大河ドラマ効果で玉名の知名度が上がりそうです。
玉名市には夏目漱石が名作『草枕』の舞台にした温泉があり、九州新幹線の新玉名駅もできました。11月23日には「玉名大俵まつり」があり、ドラマでも出てくる「俵ころがし」のレースがあります。