70年を迎えた北方領土返還運動 実り多き交渉に期待

きょう35回目の「北方領土の日」

社団法人千島歯舞諸島居住者連盟理事長 小泉敏夫氏に聞く

後継者育成が喫緊の課題に

 北方領土が旧ソ連に不法に占拠されて今年で70年を迎える。この間、元島民は率先して領土返還運動を牽引してきた。それでも遅々として進まない日露政府間の領土交渉に焦りといら立ちを隠せない。元島民1世の高齢化が進み、返還運動の後継者育成は喫緊の課題となっているが、今後の返還運動の在り方について公益社団法人千島歯舞諸島居住者連盟の小泉敏夫理事長に聞いた。
(聞き手=札幌支局・湯朝 肇)

300 ――安倍政権になって3年目になります。この間、領土問題で進展があったと思われますか。

 民主党が政権を取っていたころは、総理大臣が短期間で交代したため、日露間で落ち着いた「静かな環境」での交渉とは言い難い印象があった。一方、安倍政権は昨年12月に選挙はあったものの、大勝し安定した政権としてロシアと交渉にあたっていると思う。2013年5月には、日本の総理大臣として10年ぶりにロシアを公式訪問し、プーチン大統領との首脳会談を行った。その後もAPEC(アジア太平洋経済協力会議)などの国際会議でたびたび首脳会談を行っており、積極的に交渉を積み重ねているようだ。両首脳は、「日露間で平和条約が存在しないのは異常だ」という共有の認識は持っているようだが、そこで領土問題に進展があったかと問われれば、遅々とし進んでいないというのが率直な感想だ。それでも交渉を積み重ね、ロシアとの信頼関係を構築することは極めて重要なことだと思う。

 ――今年は北方領土が不法に占拠されて70年になりますが。

 かつて島で暮らしていた島民として70年間、故郷に戻ることができないのは非常に残念でならない。一方、北方領土返還運動は不法占拠されたその年から始まり、今年で70年を迎える。歴史を見ても50年、70年、100年という期間は節目の年となっており、そういう意味では、こうした節目の年に領土返還交渉を盛り上げ、政府に対しては大きな成果を上げてほしいと切実に願っている。元島民の集まりである当連盟としても政府の交渉を後押しすべく活動を進めていきたい。とりわけ、昨年秋に予定されていたプーチン大統領の来日が先送りされ、今年の訪日を政府間で調整している。来日した際には安倍総理には交渉において大きな実りを期待したい。

400 ――近年、我が国を取り巻く東アジアにおいて領土問題に対する国民の関心が高まっています。当然、北方領土に対しても意識が高まってきているように思うのですが。

 尖閣諸島や竹島などの問題を通して国家の主権としての領土に関心が高まってきたのだと思う。ただ、私は常に、北方領土は尖閣諸島や竹島とは別格だと訴えている。それは、北方領土では戦前から日本人約1万7000人が産業を興し、生活を営んでいたということだ。また、北方領土は戦争で奪い合った領土ではなく、1855年の日魯通好(日露和親)条約、1875年の樺太・千島交換条約というように江戸時代末期から明治にかけて日露間で国際条約として取り決められた日本の領土だった。面積においても尖閣諸島や竹島とは規模が全然違う。4島を合わせると千葉県ほどの広さになる。ロシアが終戦後に侵攻し不法占拠してきた過程を見れば、北方領土が日本固有の領土であることは一目瞭然で、そうした事実を多くの国民に知ってほしい。

 ――領土返還交渉に関して、日本人の有識者の一部に4島返還ではなく、3島あるいは面積等分方式などを訴える人がいますが。

 北方4島は前述したとおり、戦前から日本人が生活してきた土地で、日本固有の領土であり、ロシアが不法占拠したことは間違いない事実。そういう観点に立てば、2島返還、3島返還で良いという話にはならない。ただ、現実を見るとすでにロシア住民が4島で生活しており、すぐに追い出すことはできない。我々としてはまず、4島の日本帰属をしっかりロシアに認めさせることが重要だと考えている。

 ――元島民1世の高齢化が進んでいると思いますが、返還運動における後継者の育成はどうですか。

 私自身、今年で92歳になる。1世の平均年齢は80歳を超え、高齢化が進んでいる。それでも返還運動の主役として1世の方々には今でも頑張っていただいているが、後継者の育成は必須で、この運動は世代を繋げて4島が戻ってくるまで続けていかなければならない。また、北方領土返還運動は決して道東だけの地域的な問題ではなく、日本の主権にかかわる問題。そのためには、学校教育などを含めた国民運動として展開していく必要があり、我々としても各自治体や国と連携して取り組んでいきたいと考えている。

 こいずみ・としお 大正12年8月7日、色丹島生まれ。昭和19年、東京高等獣医学校(現、日大生物資源科学部獣医学科)卒。23年、北海道庁入庁。56年、道庁を退職し、同年、家畜畜産物衛生指導協会に勤務。62年、同協会退職。平成4年社団法人千島歯舞居住者連盟理事長に就任。