吉野氏ノーベル賞、日本の科学技術力示した偉業
今年のノーベル化学賞は、スマートフォンや電気自動車などに欠かせないリチウムイオン電池を発明した旭化成名誉フェローの吉野彰氏(71)ら3氏が受賞した。吉野氏で日本のノーベル賞受賞は27人目。化学賞は2010年の鈴木章北海道大名誉教授と根岸英一・米パデュー大特別教授に次いで8人目となる。わが国の科学技術力の高さを世界に示した。
憂う企業の研究者減
吉野氏の発明したリチウムイオン電池の登場で、起電力を4ボルト以上まで上げることができ、小型軽量化、持ちの良さも実現した。さまざまなモバイル機器にも使われ、IT社会に欠かせないものに。
また環境問題などを背景に、世界で急速に普及が進む電気自動車の電源として、また住宅にも利用が広がり、エネルギーの効率利用による環境負荷の低減が大いに望めるようになった。
吉野氏は京都大大学院を修了後、1972年に旭化成工業(現旭化成)に入社し、イオン二次電池事業グループ長、電池材料事業開発室長などを経て2017年から現職。記者会見で吉野氏は「研究者は頭が柔らかくなくてはいけない。その一方で、執着心も人一倍なければならない」と話したが、それを体現した研究生活だった。
入社して10年近く、取り組んだ研究成果が実用化されない苦渋を味わった。リチウムイオン電池の開発につながる研究を始めたのは81年。当時、充電して再利用できる2次電池に、反応性が高い金属リチウムを電極に用いようと多くの研究者が挑戦したが、熱暴走という安全性の課題もあり、実用化は難しかった。吉野氏は時代の先を読み、失敗を糧にして諦めず、ついにその技術が世界に認められた。
一方この時期、旭化成は繊維、石油化学、電子材料など多岐にわたる事業領域を形成し、その研究活動に人材と物資を投入してグローバル企業となった。この期間と重なったのは吉野氏にとって誠に幸いだった。技術の発展方向にできる限り柔軟性を持たせ、いろいろな試みを行うことができた。その結果、旭化成は変化の激しい弱電業界に食い込み、吉野氏はその第一人者になった。吉野氏の頭脳と企業の力が合わさって生まれた偉業だ。
だが今、日本の企業内の研究者が減少していることが憂慮される。バブル崩壊を受け、90年代半ば以降、企業が研究所を廃止し、基礎研究から撤退する傾向が続いている。今日、技術の発展方向の不確実性が増しており、それに対応しようとする企業が少なくなったことが原因の一つだ。
企業研究者をリストラすることでアジア諸国へ頭脳・技術流出している現状もある。日本企業の技術開発力に期待したい。
応用に無限の広がり
電池は、1800年に発明された実験用のボルタの電池が始まり。この200年の電池の進歩は驚異的で、産業用途では飛行機などが電池を動力源とするようになり、その用途は無限の広がりを見せている。その先端にあるリチウムイオン電池が日本人を中心に開発されて栄誉を受けた。大いに誇りたい。