強制不妊手術、「命の尊厳」に向き合え
旧優生保護法下で障害者らが不妊手術を強制された問題で、被害者に一時金を支給する救済法が成立し、請求の受け付けが始まった。被害者への償いは一歩前進したと言えるが、一時金の支給で済む問題ではない。
責任重い学会や医療界
生存に適さず生まれてこない方がいい人間がいるという優生思想の下、生殖機能を奪う(優生手術)という深刻な人権侵害が、なぜ合法的に行われたのか。同じ轍(てつ)を踏まないためには、それを徹底検証するとともに、国民一人ひとりが「命の尊厳」に対する考えを深め、社会全体で劣等な子孫を断つという思想と決別することが不可欠である。
救済法の前文に「我々は……真摯に反省し、心から深くおわびする」とあるが、この「我々」は誰なのか。謝罪すべきは国だけではない。不妊手術を受けたのは約2万5000人。強制的に行われた被害者だけでも1万6000人を超えるが、手術の実施には自治体、専門家団体、医療・福祉関係者、そして家族も関与していた。
中でも、優生思想を広めた学会や手術に関わった医療界の責任は重い。救済法が謳(うた)う、同じ過ちを繰り返さないための調査の核心はここだろう。
「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに、母性の生命健康を保護することを目的とする」と謳われた旧優生保護法が議員立法として成立したのは昭和23(1948)年。当時の社会党、民主党、国民協同党の連立政権下で、成立に中心的な役割を果たしたのは、産婦人科医の資格を持つ議員たちだった。一方、不妊手術の対象は精神障害者が多かったことから、申請や審査に精神科医が関わっていたことも分かっている。
同法は、遺伝性疾患、精神・知的障害、ハンセン病の人たちに対して、本人の同意なしでも不妊手術を行えることなどを定めた。国際的な批判を浴びたことや障害者団体などからの働き掛けで、平成8年に優生手術に関する規定が削除された「母体保護法」に改正されたが、著しく差別的な規定が含まれた法律が保守・革新の垣根を越えて成立したのは、優生学の影響があったからだ。
優生学は、英国の遺伝学者フランシス・ゴルトンが19世紀後半に提唱した。「種の起源」を出版し、自然選択による生物進化を説いたチャールズ・ダーウィンのいとこで、優生学は進化論を人間社会に応用したものと言われている。
学会は検証に乗り出したが、海外の動きと比べると、救済法の成立とともに遅きに失している。それはとりもなおさず、日本の社会が優生思想をまだ引きずっているからではないのか。
優生思想と決別せよ
唯物的な進化論から「命の尊厳」という考えは生まれてこない。優生思想と決別するということは「命は授かりもの」という価値観を深めることであり、生命倫理の確立につながる。
それは簡単なことではないが避けては通れない課題である。新型出生前診断やゲノム編集などの医療技術の進歩が著しい現在、「生まれていい命」の選択という形で忌まわしい思想が残る懸念が高まっているのだから。