秋篠宮御発言、大嘗祭は国費で粛々と準備を


 来年11月の大嘗祭への公費支出をめぐって秋篠宮殿下が一石を投じられた。

 記者会見で「宗教色が強い大嘗祭を国費で賄うことが適当かどうか」と述べられ、天皇御一家の私的活動費である内廷費を充て「身の丈に合った儀式」とするのが本来の姿ではないかとのお考えを示された。質素倹約を旨とされ、国民に負担を掛けたくないとの天皇家のお心配りを感じさせる御発言だ。

違憲には当たらない

 大嘗祭は、天皇の御即位後初めて行われる新嘗祭だ。その年の新穀を天照大御神(あまてらすおおみかみ)や天神地祇(てんじんちぎ)に供えられ、国家国民の安寧と五穀豊穣(ほうじょう)を祈られる、御即位の中心的な祭祀(さいし)だ。この意義ある行事を国民はこぞってお支えしたい。平成初めの大嘗祭でも公費である宮廷費が支出された。

 これに対して一部に憲法が定める政教分離に反するとの意見がある。確かに大嘗祭は宗教色が強いが、どの国でも歴史的行事には宗教的背景がある。英国の歴史学者アーノルド・トインビーが指摘するように「文明は偉大な宗教と共に始まった」からだ。

 民主主義国家では信教の自由に反しない限り、宗教との関わりを否定しない。それが政教分離の基本的な姿勢だ。例えば、米大統領の就任式では聖書に手を置いて宣誓し、英国王の戴冠式はアングリカン・チャーチ(英国国教会)の儀式で行う。いずれも政教分離に反するとか、信教の自由を侵害するといった批判は聞かれない。

 わが国の憲法20条は「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する」とし、国や自治体は特定の宗教団体に特別の利益や権利を与えてはならないとする。この規定は信教の自由を保障するため、その効果が期待通りに得られるようにする「目的効果基準」とされる。あくまでも信教の自由が目的で、政教の完全分離を目指すものではない。

 三重県津市の地鎮祭をめぐる違憲訴訟で、最高裁は「社会事象としての広がりを持つ宗教と国家や公共団体は完全に無縁であり得ない」とし、「特定の宗教を助長し他の宗教を圧迫する効果を持つと認められる活動でなければ『宗教的活動』に当たらない」として合憲判断を示した(1977年7月)。

 それにもかかわらず、左翼勢力は政治的イデオロギーから政教の完全分離を唱えている。93年の皇太子殿下の御成婚に際して共産党と旧社会党は「国事行為として結婚の儀が行われながら、神道儀式で行ったのは憲法違反だ」などと主張した。前回の大嘗祭では神奈川県知事らが公費を使って参列したのは違憲だとして旅費の返還を求める訴訟を起こした。

 これに対して最高裁は「天皇の即位に祝意を表する目的で、社会的儀礼として三権の長らと共に皇室の伝統的儀式である即位の礼や大嘗祭に参列したことは、その目的や効果から宗教的活動には当たらない」との判断を示して訴えを退けている(2004年6月)。

環境整備が政府の責務

 国費の支出は違憲に当たらない。大嘗祭が堂々と行えるよう環境整備を進めていくのが政府の責務だ。