陸自イラク日報、問われるべきは憲法9条だ
2004年から06年にイラクに派遣された陸上自衛隊の日報が公表され、「戦闘」の記述があったことから一部野党やメディアが批判を強めている。
派遣部隊の活動は憲法9条に基づいて非戦闘地域に限定されていたはずだとし、イラク戦争に正当性がなく、派遣自体が間違っていたなどとの批判だ。だが、これら主張は国際社会の認識から懸け離れている。日報問題で問うべきは自衛隊を「軍」として認めない9条の方だ。
謝意を表明したアナン氏
第1に、イラク戦争に正当性はなかったのか。米国は開戦(03年3月)の根拠に「大量破壊兵器の保有」を挙げた。開戦後、こうした事実はないことが判明した。だが国連安全保障理事会は1991年の湾岸戦争以降、16回にわたってイラクに対する大量破壊兵器破棄・査察受け入れ決議を採択している。
これをフセイン政権はことごとく拒否。安保理は義務違反が続けば、深刻な結果に直面すると警告した(決議1441)。それも拒んでイラク戦争に至った。国連が米国の侵略戦争などと断じたことは一度もない。
安保理は2003年10月、決議1511を採択し、治安回復への多国籍軍派遣と復興支援を加盟国に求めた。それで陸自が派遣された。イラク戦争の正当性を理由に批判される謂(いわ)れはない。アナン国連事務総長(当時)が04年2月に訪日した際、国会演説で自衛隊派遣に謝意を表明したのはその証しだ。
第2に、「非戦闘地域」はどうか。イラク復興支援特別措置法は活動地域を「戦闘行為が行われることがないと認められる地域」とするが、これは国際社会に通用しない概念だ。国連平和維持活動(PKO)はもともと軍の派遣を前提にしている。戦闘もあり得るからだ。
当時フセイン残党勢力が潜伏していたので、日報の戦闘の記述は不思議でない。陸自は当初、重武装を想定したが、9条が否定する武力行使につながるとして左派が猛反対した。それが今になって自衛官の命を危険にさらしたと批判しているのだ。
軍とされない自衛隊は正当防衛や緊急避難での武器使用しか許されず、治安任務をオーストラリア軍などに依存した。豪軍が攻撃されても、自衛隊は敵対勢力を排除できない。これは武人として屈辱的だ。それでも恥じないのが9条だ。これらは安全保障関連法で幾分解消されたが、軍扱いされない本質問題は残されている。
例えば、9条2項が認めない交戦権だ。交戦権とは軍人が捕虜となった場合、身体及び名誉を尊重されるといった権利などのことで、ジュネーブ条約などの国際法で取り決められている。これを認めず自ら放棄したとなると、自衛官が理不尽な扱いを受けても文句一つ言えなくなる。また陸自イラク日報を省庁の「行政文書」と同列に扱い安易に開示するのも自衛隊を軍扱いしていないからだ。
自衛隊は軍と明記を
「国際社会で名誉ある地位」(憲法前文)を占めるには9条を改正し、自衛隊を軍として明記するほかない。日報問題は改憲の必要性を改めて示したと言えよう。