昭和の日、苦楽共にした皇室と国民
きょうは「昭和の日」。昭和天皇の誕生日である。「激動の昭和」を偲(しの)びつつ、日本の未来に思いを致したい。
忘れ難い特別な時代
昭和から平成へと御代が移り、その平成も29年となった。有識者会議の報告を受け、来年をめどに天皇陛下が退位される方向で、政府や国会の調整が行われている。
御代替わりとなれば、元号も平成から新元号に改まり、昭和はますます遠くなるだろう。その一方で昭和は、日本人にとって世代を超えて特別な時代であり続けると思われる。
なぜかと言えば、昭和が戦争と平和の激動の時代であり、わが国が歴史上初めて本格的な敗戦と外国による占領を経験するとともに、焦土の中から国民が立ち上がり、復興を遂げて経済大国の地位を確立した時代であったからである。
歴史の大波の中で、国民は国家と運命を共にし、懸命に生きてきた。国の歴史においても、それぞれの家族史、個人史においても忘れ難い時代として記憶されている。
戦争を体験した世代の人々がだんだん少なくなる中、その体験を後世に残そうとさまざまな取り組みが行われている。それらは貴重な証言であり、意義深いことだが、偏った反戦思想、反軍事思想のプロパガンダに利用されることもしばしばだ。戦争の悲惨さと平和の尊さを常に忘れてはならない。しかしそれを強調しさえすれば、平和が確保されると考えるのは空想的平和主義である。
一方、戦後の復興を担った世代も高齢化が進んでいる。日本が手痛い敗戦から立ち直り、奇跡の復興を成し遂げたことは貴重な歴史である。
国の再建、復興へ汗し涙した国民の営みも、後世に伝えるべきだ。昭和の復興と繁栄の歩みについては、その経験に学ぼうとする海外とりわけ途上国の人々の関心も高い。
昭和の歴史の中で、日本人は数々の忘れ難い体験をしてきたが、何より後世に語り継ぐべきことは、この激動の時代を皇室と国民が苦楽を共にして越えてきたことではないだろうか。戦後の日本は、国民の苦しみを取り除き、未来への種を残そうとされた昭和天皇の終戦の聖断から始まる。終戦後、昭和天皇は「国民を助けてほしい」とマッカーサー連合国軍最高司令官の前に身を投げ出された。
北朝鮮の核・ミサイル開発や中国の膨張政策などによって、わが国の安全保障上の問題が先鋭化している。それでも経済や治安などの面では、他国と比べ比較的安定した状態にあると言えるだろう。自由と民主主義の価値観に基づく政治や外交、日本人の道徳性や勤勉さがそれを支える要素である。そして何よりも天皇という国民統合の象徴を戴(いただ)くことが大きいと改めて思わされる。
戦後日本の安定の鍵
戦前と戦後では天皇の憲法上の位置付けは変わったが、日本人の心の中に占める位置は基本的に変わらなかった。
このことが戦後日本の安定の鍵であったことは明らかであり、それは御代が替わっても同じである。