山の日、恩恵に感謝し次世代に継承を
きょうは山の日である。平成26年に制定され、今年から施行された国民の祝日。
日本の国土は7割が山地で、各地に名山名峰がある。古くから人々は山の恵みを受け、山を崇(あが)め、山とともに生きてきた。そのような歴史を踏まえ、山の日は「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」日として制定された。
記念式典などを開催
近代アルピニズム発祥の地である長野県松本市上高地では、第1回山の日全国大会の記念式典が開催され、同市内では国際フォーラムも開かれる。上高地は眼前に穂高連峰がそびえ、周囲に森林が広がり、清冽(せいれつ)な梓川が流れている。この類いまれな景観の中で山について考え、語り合うことは意義が深い。
また特殊切手「山の日制定」シートが発売され、特殊通信日付印(特印)サービスも行われる。特殊切手は各地の代表的な山とそこに生息する動植物を表現しており、大雪山とエゾナキウサギ、岩手山とコマクサ、槍ヶ岳とヤリガタケシジミ、大山とダイセンキスミレ、くじゅう連山とホオアカなど、日本の山々の素晴らしさを感じさせる。
人はなぜ山に登るのかという問いに、マロリーが「そこに山があるからだ」と答えて有名になった。だが、これは禅問答のようで満足しない人も多い。登山家の今西錦司もその一人で、「山にはよいところがあまりたくさんありすぎて、ひと口にはいい現わせない」と断った上で、「よいところの中に、山の偉大さということのあるのを、見のがしてはならない」(「なぜ山に登るか」)と述べる。その偉大さへの帰依が行動となる時、それが登山だといい、山岳宗教の基礎にもなっていたという。
心理学者のV・E・フランクルは、ナチスによる強制収容所での体験を記した『夜と霧』の著者として知られているが、彼は生涯、登山家でもあった。「私が拝受した二十七の名誉博士号よりも、アルプスの二つの登山路が初登頂者にちなんで『フランクル登山路(シュタイゲ)』と名付けられたことの方が、私にとって大きな意味があるのではないかと感じるほどなのである」(『フランクル回想録』)。彼は自分の考えをまとめたり、重要な決意や決断をしたりする時、いつも山を散策したという。
山で決意や決断の重要性を学んだが故に、ナチスの強制収容所生活でも「収容所囚人」にならず、人間としての尊厳を守る人間になる決断を下し続けたのである。
生物学者でもあった今西は自然の秩序、調和、平衡の中に完全さと永遠性を見ていた。その完全さと永遠性こそ憧れを抱いた理由でもあった。ヨーロッパの岩山と日本の緑豊かな山とでは標高も形状も違うが、自然としての本質は共通している。フランクルも偉大で完全なものの中に身を置いて、判断の是非を検討したのだ。それは山が与えてくれた特別な恩恵である。
偉大さと尊い価値銘記を
山の日は、われわれが山の偉大さとその尊い価値について思いを新たにする日である。またそれを傷つけず、汚さず、破壊せず、次世代に継承していくことを深く銘記する日でもある。