オバマ氏広島訪問、道徳的覚醒訴えた演説を評価


 オバマ米大統領が広島を訪れた。米国は原子爆弾を1945年8月6日に広島、9日に長崎に投下した。人類史上初となる実戦での核兵器使用だ。激しい熱線と衝撃波、有害な放射線で同年だけで21万人以上が死亡し、その後犠牲者は46万人に達した。こうして日本は唯一の被爆国となった。

 あれから71年。現職の米大統領として被爆地を訪問したのはオバマ大統領が初めてである。その歴史的意義は大きい。

 現職米大統領は初めて

 オバマ大統領は広島における演説で次の3点を強調した。第1点は、原爆の恐るべき力に思いをはせるために広島を訪れたことだ。大統領は強調した。広島の悲劇は、人類が自らを破滅させる手段を手にしたことを示した、と。

 第2点は「8月6日の記憶を風化させてはならぬ」ことだ。「科学技術の進歩は、人間社会の同等の進歩が伴わなければ、人類を破滅させる可能性がある」と述べた。人類文明の欠陥についての適切な指摘として高く評価できよう。

 第3点は、人類史上での「広島・長崎」の位置付けである。「広島と長崎が“核戦争の夜明け”ではなく、私たちが道徳的に目覚めることの始まりとして知られるような未来」について語った。

 そして大統領は「核兵器なき世界」を追求しなければならないと訴えた。核兵器は人類が考え出した最も非人道的な兵器である。一瞬にして何万もの人命を奪うため、悪魔的な兵器としてその廃絶は望ましい。だが同時に道徳的尺度とは別に、核兵器の功罪をいま一度考えることも必要であろう。

 根本的な問題は「核なき世界」が平和をもたらすかどうかだ。核兵器が全世界で廃絶されれば、確かに「核戦争」はなくなろう。だが戦争が起これば、人々はあらゆる手段で戦うことになる。核兵器をなくせば、突出した地上兵力を持つ中国のような国家が有利となることを忘れてはならない。

 ここで考えるべきなのは、兵器そのものが戦争の原因ではないことだ。戦争は領土問題、政治や経済、民族、宗教、イデオロギー上の対立などによって起こる。核を含めた兵器は戦争の手段にすぎない。核兵器を廃絶したとしても、戦争の原因をなくさない限り、平和を実現することはできないだろう。

 大統領は「私の国の物語はシンプルな言葉から始まった。“すべての人は等しくつくられ、生命、自由、幸福追求を含む、奪われることのない権利を創造者から授けられた”。これらが、私たち全員が伝えていかねばならない物語なのだ。それが、私たちが広島を訪れる理由だ」と強調した。

 人類文明の最大の矛盾は科学技術の進歩が道徳的覚醒と並行して進んでいかなかったことである。だからこそ、広島・長崎では倫理の問題を抜きにして原爆が使用された。

 極めて意義深い指摘

 広島・長崎の悲劇について「人類が道徳的に目覚めることの始まりとして知られる未来」を希望した大統領の指摘は極めて意義深いと評価される。