東日本大震災5年、東北創生への力強い歩みを
東日本大震災から、5年目の3月11日を迎えた。1万5894人が犠牲となり、2561人が、いまだに行方不明のままである。犠牲となった人々に哀悼の祈りを捧(ささ)げるとともに、復興への決意を新たにしたい。
「絆」の大切さ知る
あの日の衝撃とそれに続く焦慮、不安、悲しみなど、当時の思いや感覚がまざまざと蘇(よみがえ)ってくる人は多い。ましてや愛する家族や友人を失った被災者は、あの日で時が止まったと感じている人も少なくないだろう。
今も全国に約17万人が避難生活を送っており、岩手、宮城、福島3県の計約5万9000人が、まだ仮設住宅で暮らしている。福島第1原発事故の起きた福島県では、なお4万3000人が県外に避難しており、帰還のためには放射能の除染という問題を抱えている。
多大な犠牲を払って、われわれは震災から教訓を得たことも事実だ。プレート境界型の地震が、甚大な被害をもたらすことを教訓に、南海トラフでの地震など、これまでの予想と対策を根本的に改めた。
防災意識も格段に高まった。津波が起きた場合は、それぞれが安全な高所、高台へ逃げる「てんでんこ」など、全国的に共有されるようになった。これら教訓を含め、震災で起きたことを後世へ語り伝えていくことが重要だ。
被災者の沈着で互いに助け合う姿は、世界の人々の称賛の的となった。「頑張ろう東北」や「絆」を合言葉に、多くのボランティアが現地入りした。
中でも、「絆」は日本人の心を捉えた。震災体験を通し我々は、家族の絆、国民同胞としての絆の尊さ、大切さを改めて自覚した。「絆」は、空母を動員して「トモダチ作戦」を展開した米軍や、多大な義捐金(ぎえんきん)を送ってくれた台湾など海外の人々との間にも強まった。日本文学研究者のドナルド・キーン氏は、震災以降のそんな日本人の姿に心打たれ、日本国籍を取得した。日本人の良さがどこにあるかを自覚し、それを大切にし育てていく努力が求められる。
5年間、国を挙げての復興策によって、災害公営住宅の建設が進み、高台や内陸部への防災集団移転が進んだ。沿岸部で被災した企業の8割が事業を再開し、漁港の水揚げ量も回復してきている。しかし、人口減少や人手不足、販路の喪失、風評被害など現実には厳しいものがある。
5年間の「集中復興期間」は3月末で終了するが、政府は2020年までの5年間を「復興・創生期間」と位置付ける。
震災直後、復興計画をめぐっては、それが単なる「復旧」ではなく、「新しい東北」を造るものでなければならないという論が強調された。
新産業の育成が重要に
「新しい東北」を創生するためには、これまでとは違った観光、水産業など新しい産業の育成が重要となってくる。日本全体の課題である地方創生の観点から、5年間の復興への歩みやこれからの計画を、もう一度検証することも無駄ではない。東北創生は日本創生そのものとの観点から、力強い歩みを期待し、支援していきたい。