調査尽くして抑留死亡者の悲劇を伝えよ
厚生労働省は、第2次世界大戦後に旧ソ連に抑留され、北朝鮮や中国・大連、サハリン(樺太)などで死亡した日本人を含む延べ約1万人分の名簿をホームページで公表した。
これまでシベリアとモンゴルで死亡した約4万2000人分は公表していたが、それ以外の地域は初めてだ。調査を尽くして悲劇を後世に伝えていかなければならない。
北朝鮮などを新たに公表
このほど新たに公表されたのは、シベリア4865人のほか、北朝鮮の興南1853人、元山11人、大連178人、樺太など88人。病院のカルテなどからも3728人を抽出し、リスト化した。
これまでも遺族から問い合わせがあれば回答していたが、戦後70年を迎え、身元を確認できていなくても積極的に情報提供する方針に転換したという。正確性よりも迅速性を重視するものだ。
ソ連は1945年8月9日、当時有効だった日ソ中立条約を破り、一方的に宣戦布告。日本軍兵士や民間人らをシベリアや中央アジア、モンゴルなどの収容所に移送して抑留し、森林伐採や鉄道建設などの重労働に従事させた。厚労省の推計によると、抑留者は約57万5000人に上り、このうち約5万5000人が飢えや寒さ、病気などで死亡した。
ポツダム宣言第9項は「日本軍隊は完全武装解除後、各自の家庭に復帰する」と規定していた。抑留は宣言に違反するものであり、これだけ多くの死者を出したソ連の行為は決して許されない。
抑留者に関する調査は91年4月、当時のゴルバチョフ・ソ連大統領が3万8647人の死亡者名簿を日本政府に引き渡し、本格化した。ロシア側はこれまでに、延べ4万人以上の死亡者名簿を提供している。それでも約1万5000人は裏付けが取れず、埋葬場所などは不明のままだ。
背景には、ロシアで名簿や資料の「機密解除」が進んでいないことがある。ロシアは全容解明に全面的に協力すべきだ。日本も粘り強く働き掛ける必要がある。
もっとも、これまで日本政府はシベリアの調査を優先し、それ以外の地域には十分に目が向けられてこなかった。
抑留者のうち病気やけがで重労働に耐えられなくなった約2万7000人が、シベリアから韓半島北部に移送され、このうち1万2000人以上が亡くなったとも言われる。また、韓半島北部や南樺太、満州などでも日本人が拘束され、抑留生活を強いられた。
南樺太や北方領土などでは約1万人が森林伐採や鉱山労働などをさせられ、強制労働による死者は約2000人に上ったという。大連でも労働を強いられたようだが、収容所や抑留者の総数などは不明だ。今回の名簿公表をきっかけに、こうした面の調査も進めてほしい。
風化させない取り組みを
遺族の高齢化が進む中、全容解明とともに、この悲劇をいかに若い世代に伝えていくかが課題となる。風化させないための取り組みが求められる。
(5月8日付社説)