憲法記念日、国会で改憲原案策定に着手を


 日本国憲法が施行されて68年となる憲法記念日を迎えた。今年は戦後70年の節目の年であり、敗戦と戦後復興の昭和時代を振り返るとともに、平成の今日から未来にかけて平和と安定が継続する国の在り方と国際関係を展望しながら憲法について考える一日としたい。

平和を守れない9条

 日本国憲法は連合国軍総司令部(GHQ)が草案を書き、大日本帝国憲法の改正手続きによって帝国議会で制定されたものだが、無条件降伏で武装解除された状態のまま9条で交戦権も陸海空軍の保持も禁じられ自衛権も明記されなかった。

 これを「平和憲法」といつまでも称賛するのは時代錯誤だ。我が国が戦後外敵から攻撃されなかったのは最強の軍事力を持つ米国と安全保障条約を結び、在日米軍が存在したからだ。

 しかし今世紀に入り国力が衰退する米国は国防予算の削減を余儀なくされる一方、中国は20年以上にわたって大幅に増額し続け、我が国や東南アジア周辺海域への領土的野心を隠さなくなった。すでに沖縄県・尖閣諸島の領有権を主張し公船による領海侵犯を繰り返しており、自衛権を憲法解釈でひねり出さざるを得ないままでは「平和を守れない憲法」になる恐れがある。

 昨年は閣議決定された集団的自衛権行使の一部容認が論議を呼び、今年も新しい日米防衛協力の指針(ガイドライン)と安全保障法制の整備をめぐり連休明けの通常国会で論争が巻き起ころう。が、独立国には個別的・集団的自衛権があることを国連憲章も認めているのであり、諸外国には意味不明な議論にすぎない。並行して与野党とも国際常識に沿って憲法に独立国らしい規定を盛り込むよう協議すべきである。

 一方、米国中心のGHQが現憲法第1章に天皇の条文を認めた寛容は、敗戦の不幸の中の幸運として銘記されよう。連合国は共産主義の宗主国・ソ連が一角を占め、戦後処理に介入して政治的版図を拡大し、東西冷戦の東側陣営を築いた予断を許さない時期であった。

 焦土と化した国土の復興は、人心が荒廃していたならば成し遂げられなかっただろう。国民を励まされるために昭和天皇は昭和21年2月から29年8月まで日本全国を巡幸されたが、22年5月3日の日本国憲法施行後も天皇が天皇としておられた意義は日本の戦後の運命において極めて大きい。

 天皇巡幸は現憲法下の戦後民主主義を物語るエピソードでもあり、直接お言葉をかけられた国民だけで2万人に上った。敗戦後の国民のよりどころとなられ、復興に向け心の火をともされたのだ。国民に寄り添う皇室の姿勢は、平成時代に入っても天皇、皇后両陛下の東日本大震災被災地御訪問や4月のパラオ御訪問のように貫かれている。

現実との乖離は調査済み

 法には時代とともに変わる部分と変わらない部分がある。国会には憲法改正案を審議する憲法審査会が設置され、国民に賛否を問うための国民投票法も整備された。国会は憲法条文と現実との乖離(かいり)を調査済みなのであり、各党で改憲原案の策定に着手してほしい。

(5月3日付社説)