日本遺産の再発見こそ対外発信への道


 文化庁は、各地の文化財に物語性を持たせてPRし、内外の観光客を呼び込んで地域の活性化につなげる「日本遺産」に、「四国遍路」や「近世日本の教育遺産群」など18件を初めて認定した。

 ストーリーを軸に認定

 日本遺産がこれまでの文化財認定などと異なるのは、わが国の文化・伝統を語るストーリーを軸とした点にある。

 地域の魅力として発信する明確なテーマを設定し、それにまつわる文化財が地域に根差して継承・保存されていることが認定条件だ。ストーリーは、単一の地域で完結するものと、複数の市町村にまたがったものを認めている。

 ゆくゆくは「世界遺産」への登録も視野に入れたものだが、世界への発信のためには、まず日本人自身がその価値をよく認識する必要がある。その意味で日本遺産の認定は、われわれ日本人が日本文化の価値を再発見するきっかけともなる。

 例えば、「近世日本の教育遺産群―学ぶ心・礼節の本源―」は、旧弘道館(茨城県水戸市)、足利学校跡(栃木県足利市)、旧閑谷学校(岡山県備前市)、咸宜園跡(大分県日田市)によって構成されている。

 わが国では明治になって近代教育制度が導入される前から、武士だけでなく庶民も読み書き・算術ができ、礼儀正しさを身に付けるなど高い教育水準を示した。

 これが明治維新後におけるいち早い近代化の原動力となった。そういう教育を担ったのが、藩校や郷学、私塾など、さまざまな階層を対象とした学校であった。

 このようなことは歴史の授業などで習う内容だが、近世日本の各地にあった学校が今回、日本遺産に認定されることによって、改めてその重みを知ることができる。

 一方、空海ゆかりの礼所を回る「四国遍路」は、キリスト教やイスラム教などに見られる「往復型」聖地巡礼とは異なる「回遊型巡礼路」で、国籍や宗教・宗派を超えて誰もが行え、世界でも類を見ない巡礼文化として登録された。

 また、奈良県の明日香村、橿原市、高取町は「日本国創生のとき―飛鳥を翔(かけ)た女性たち―」というストーリーを柱にしている。日本が国家として歩み始めた飛鳥時代は斉明天皇はじめ天皇の半数が女帝であったことに着目し、日本の黎明(れいめい)期を牽引(けんいん)したのは女性であったとの観点から、この地域と時代を意味付けている。女性の活躍という点では、現代の問題意識に訴えるものがある。

これらのストーリーを見ていくと、日本にいかにユニークで多様な文化遺産があるかを改めて知ることができる。それは日本ならではのものであると同時に、世界に発信し得る普遍的な価値を持つものだ。

 観光客に新しい見方示す

 日本遺産のさまざまなストーリーは、一度訪ねたことがある人にも新しい見方を提示してくれる。

 観光客がこれを頼りに、自分独自の体験と見方からそれぞれのストーリーを作り上げていくのもいい。

(5月1日付社説)