日本赤軍逮捕、苦い教訓をテロ対処に生かせ
1986年にインドネシア・ジャカルタの日米両大使館に迫撃弾が撃ち込まれた「ジャカルタ事件」で、米国から強制送還された日本赤軍メンバー城崎勉容疑者が警視庁公安部に逮捕された。
超法規的措置で釈放
日本赤軍は過激派のテロ組織で、前身は共産主義者同盟赤軍派。71年にレバノン入りした重信房子受刑者らが、日本国内の赤軍派組織と一線を画し、名称を「日本赤軍」とした。
パレスチナ解放人民戦線(PFLP)などパレスチナの極左過激派と連携。イスラエルのテルアビブ・ロッド空港事件や、オランダ・ハーグの仏大使館占拠事件(ハーグ事件)など70~80年代に海外で数々のテロを引き起こした。
特にロッド空港事件は、3人のメンバーが自動小銃を無差別に乱射し、100人以上が死傷するという凄惨(せいさん)極まりないものだった。
城崎容疑者は、77年の日航機乗っ取り事件(ダッカ事件)で人質と引き換えに超法規的措置で釈放された中の一人だ。福田赳夫首相(当時)は「人命は地球より重い」と釈放を決め、600万㌦(当時約16億円)の身代金も支払われたが、国際社会には「テロリストへの譲歩」と受け取られ、結局テロを拡散させることになった。
超法規的措置は75年のクアラルンプール事件の際にも取られた。ダッカ事件の実行犯の中には、この時に釈放されたメンバーがいる。苦い教訓をかみしめなければならない。
過激派組織「イスラム国」は日本人人質事件の際、解放の条件として2億㌦(約236億円)の身代金やヨルダンで収監中だった自爆テロ未遂犯の釈放を要求した。
「イスラム国」は、日本をテロの標的にすると宣言している。城崎容疑者の逮捕を踏まえ、政府はテロとの戦いの上で、不当な要求に屈することなく、厳正に対処するとの原則を再確認すべきだ。
2度の超法規的措置によって釈放された活動家11人のうち、いまだに6人が逃亡中だ。この中には、72年のあさま山荘事件に関わった坂東国男容疑者や74~75年に発生した連続企業爆破事件の佐々木規夫容疑者が含まれている。
あさま山荘事件では、連合赤軍のメンバー5人が山荘の管理人の妻を人質に立てこもり、2人の機動隊員と民間人1人が犠牲となった。東アジア反日武装戦線が引き起こした連続企業爆破事件も、多数の死傷者を出した。両方とも国内の極左過激派による代表的なテロ事件だ。
城崎容疑者の逮捕を受け、警視庁は「ジャカルタ事件特別捜査本部」を設置。釈放後、96年にネパールで身柄を拘束されるまでの足取りを捜査する。ジャカルタ事件の翌年、ローマで米大使館などが似た手口で襲われた事件への関与も指摘されているほか、逃亡中のメンバーらと海外で接触した可能性もあるという。
逃亡メンバーも早期に
警視庁は事件の徹底究明を行うとともに、海外の治安当局とも連携して逃亡メンバーの早期逮捕につなげてほしい。
(2月28日付社説)