夫婦別姓、伝統的家族観の破壊を助長


 最高裁は結婚する時に夫婦別姓を認めていない民法の規定が憲法に違反するか、15人の裁判官全員による大法廷で審理し、初の判断を示すことになった。

 わが国は夫婦を同姓とし、ファミリーネームを一つにすることで家族の絆や一体性を重んじ、安寧な社会を築いてきた。審理は慎重を期すべきだ。

 最高裁が初の憲法判断へ

 原告は事実婚の「夫婦」で、夫婦別姓を認めない民法の規定は憲法違反だとし、国会が法改正を怠ったために精神的損害を受けたとして国家賠償を求めていた。

 これに対して一、二審とも「憲法は結婚した2人が別の姓にする権利を保障していると言えず、国会が夫婦別姓の実現に向けた立法を怠ったとも言えない」として訴えを退けた。妥当な判断だ。

 原告らの主張は、民法750条の「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫または妻の氏を称する」との規定を改変し「夫婦別姓を選べる制度」を実現することだという。いわゆる選択的夫婦別姓の導入だ。

 だが、この制度には首を傾げる点が多い。婚姻届を出す時、夫婦が従来通りの同姓でも、あるいは旧姓のままの別姓でもどちらでもよいとし、子供の姓についても兄弟間での別姓を容認する。

 これでは家族を溶解させ、わが国は個人ばらばらの「孤社会」になりかねない。それで果たして社会秩序が維持できるのか、はなはだ疑問だ。海外では同姓か別姓か、どちらかに統一しており、選択的といった曖昧な制度はない。

 一部に姓を改めることによって仕事で築いた実績が途切れるなどの不利益が生じたという主張があるが、そうであれば、旧姓を通称として使用できる仕組みを考慮し、不利益を被らないようにすれば済む話だ。

 ところが、訴訟はこうした取り組みを拒み、あくまでも民法の家族規定を変えようと訴えている。その背景には従来の家族概念を否定するイデオロギー的思惑があるとしか思えない。

 わが国の家族制度は決して古びたものではない。世界人権宣言は、家族が「社会の自然かつ基礎的な集団単位」で社会や国の保護を受ける権利を有するとしている(16条)。

 日本の場合、民法でその「集団単位」を同姓としてきた。また夫婦財産、親権などの権利と義務も明示し、それによって家庭の安寧を図ってきた。このことを想起しておくべきだ。

 民法をめぐっては、女性の再婚禁止期間の短縮や離婚後300日以内に生まれた子は前夫の子と推定する規定の撤廃を求める声もある。しかし、いずれも家庭倫理や子供を守るためのものだ。

 安易な変更は禍根残す

 前夫の子供を懐妊したまま再婚するのは倫理上好ましくない。前夫も現夫も父親と認めなければ、生まれた子供を保護できない。

 民法の規定は人権擁護を基本としている。世界に誇るべき治安の良さも、こうした家族観に基づき安定した社会を築いてきたからだ。安易に民法の家族規定を変えては禍根を残す。

(2月23日付社説)