横田さん拉致37年、被害者救出待ったなしだ
横田めぐみさんが新潟市内の中学校で部活を終え、帰宅途中にこつぜんと失踪したその日からきょうでちょうど37年がたった。後に北朝鮮による拉致だったことが判明し、めぐみさんは同じように拉致された数多くの日本人被害者たちの象徴的存在としてクローズアップされ続けてきたが、いまだに消息すら把握できていない。
10年ぶり到来のチャンス
北朝鮮は1970年代から80年代にかけ、日本各地や欧州などで主に日本人を標的に拉致を繰り返した。目的は何だったのか、元北朝鮮工作員らの証言でその一端が分かりつつある。87年の大韓航空機爆破事件の実行犯で、元北朝鮮工作員だった金賢姫元死刑囚は「李恩恵」と呼ばれる女性から日本人化教育を受けた。この女性が日本政府認定の被害者の一人である田口八重子さん(78年に拉致)とみられている。
日本で拉致問題に対する関心が高まったのは90年代に入ってからのことだ。2002年に小泉純一郎首相(当時)が訪朝したのをきっかけに、ようやく被害者5人とその家族らの帰国が実現した。だがその後、北朝鮮は「拉致問題は解決済み」との立場に終始し、日本はこの問題をめぐる対話の糸口さえつかめないまま月日が流れた。
その意味で現在、拉致問題に関して行われている日朝政府間交渉は、10年ぶりにめぐってきたチャンスと言える。めぐみさんの両親をはじめ一部被害者家族の高齢化を考えれば、「これが最後」というくらいの覚悟が必要だ。ところが、これまでの交渉経過を見る限り、心配が先立つ。北朝鮮ペースで事が運ばれている恐れがあるためだ。
北朝鮮は拉致再調査の責任者に秘密警察である国家安全保衛部の徐大河副部長なる人物を送ってきたが、早くもその権限に対し疑いの目が向けられている。北朝鮮は「夏の終わりから秋の初め」と通告してきた1回目の報告を一方的に延期し、その上、唐突に平壌で詳細な説明をすると言って日本の代表団を呼びつけた。一度は「死亡」や「未入国」と発表した手前、拉致被害者の本当の消息について決して表には出せないのだろう。うやむやにするため、あの手この手で日本を揺さぶろうという下心が透けて見える。
事件から30~40年という途方もない月日は、被害者の帰国を待ち続ける家族にはあまりにも過酷だった。めぐみさんの母、早紀江さんは体力の限界を訴え、これまで通りの活動はできないという。田口さんの兄で被害者の家族会代表の飯塚繁雄さんも、衆院解散・総選挙となればさらに進展が遅れると心配し、山谷えり子拉致担当相に年内の初回報告を実行させるよう北朝鮮に促すことを申し入れた。もはや救出活動に待ったは許されない。
出方次第で制裁復活も
安倍晋三首相は「対話と圧力」という原則を固持しつつ、北朝鮮の出方次第では制裁復活を真剣に検討すべきだ。そうしてこそ北朝鮮を動かすことができる。自らも同行した小泉訪朝で成し得なかった「全員救出」という至上課題に取り組む気概を見せてもらいたい。
(11月15日付社説)