日航機墜落35年 たゆまぬ安全性の追求を


 1985年8月12日、羽田発大阪行きの日本航空123便のジャンボ機が群馬県上野村の御巣鷹の尾根に墜落し、乗客乗員520人が死亡、4人が重傷を負った。その事故から35年を迎えるが、遺族の無念は年月を経ても変わるまい。安全性のたゆまぬ追求なくして現代の航空輸送はあり得ないことを改めて肝に銘じたい。

世界最悪の犠牲者数

 険阻な山中を32分間も迷走し、墜落、炎上。単独機の事故としては世界最悪の犠牲者数となった。救出活動は困難を極め、機体は四散していて事故原因はなかなか判明しなかった。

 その後、運輸省航空事故調査委員会(当時)は、その7年前の尻もち事故の修理で米ボーイング社にミスがあり、機体後部の圧力隔壁の強度が不足し、垂直尾翼などが吹き飛んだのが原因とする報告書を公表。ボーイング社は、この事故を契機に、与圧構造が損壊した場合でも隔壁が連鎖的に破壊されないように構造を改めた。

 誤操作・誤動作による障害が発生した場合、常に安全に制御するという、いわゆるフェイルセーフの考え方によるものだ。以後、機体の設計や開発の主流の手法となったことを見ても、同事故の教訓、衝撃の大きさを知ることができる。

 今日、ハイテクを利用した各種危険予知・警報・防止など航空輸送に関連する安全システム全体にもフェイルセーフの適用が欠かせなくなっている。さらに、航空輸送に携わる全ての組織、人の安全管理ネットワークの構築がなされるべきだ。

 これらとともに、安全の基本は人間の意識改革であることを忘れてはならない。人間の安全への意識、危険感受性を育てることが求められる。

 一方、日航は整備部門を中心に安全に関わる業務を強化する中、2010年に経営破綻。その後、公的資金の投入や社員の意識改革などにより業績は急速に回復した。エンジンや機体の不具合を示すイレギュラー運航も、09年度の96件から10年度81件、11年度58件、18年度48件と確実に減りつつある。だが、最近はパイロットらの飲酒不祥事が相次ぎ、組織の緩みも指摘されている。

 同事故以来、日本の航空会社は乗客の死亡事故を起こしていないが、事故は相次いでおり、決して安心できる状況ではない。瑕疵(かし)の全くない巨大ソフトウェア・プログラムは存在しないし、損傷の全く見られない機体構造もあり得ない。航空事故の要因を完全に排除することはできないと考えるべきだ。

 国内空港の総着陸回数は35年前の約2倍に増えた。また格安航空会社の参入などで、航空会社は激しい競争にさらされている。このような状況の中、航空輸送は安全性を阻害する要因の連鎖を断ち切り、小さなミスの段階で事故の芽を摘むようにしなければならない。

情報の共有化が必要

 5年前から、航空会社は小さなミスも国土交通省に報告する義務を負っている。その義務を徹底させるとともに、各航空会社が事故情報を共有し、安全管理についての意識を平準化する必要がある。