五輪年の文化発信、訪日客に深く多様な日本を
56年ぶりとなる東京五輪・パラリンピックの年が明けた。今年はこれまで以上に日本に世界の注目が集まる年となる。前回の東京五輪は、高度経済成長の真っただ中で行われ、日本を経済大国へと押し上げる契機となった。今回は、文化大国へと押し上げることを期待したい。
基層に感謝と畏敬の念
昭和39年の東京五輪は、敗戦に打ちひしがれた日本が、見事に復興したことを世界にアピールするという、政府、国民の悲願の下に開催された。五輪に備え、首都高速道路、東海道新幹線などの交通網も整備された。建設土木工事が中心だったが、日本経済を新たなステージへと押し上げた。
一方、性急な開発によって犠牲となったものもある。その象徴が首都高の建設で、日本橋の上を高速道路が走るという都市景観の破壊である。歴史あるお江戸日本橋と日本橋川は首都高の高架に覆われる形となった。
首都高を移転ないし地下化して、昔の日本橋の姿に少しでも戻そうという意見もあるが、進展していない。一度開発した場合、元に戻すことの難しさを示している。だが根本は、景観や文化にどれほどの価値を置くかという問題である。
こうした価値の認識という点では、欧州諸国に後れを取る日本だが、有形無形の普遍性とユニークさを併せ持つ豊かな文化的資産がある。五輪開催は日本文化発信の絶好の機会である。
伝統と現代とが融合した日本文化のユニークさは「クールジャパン」として世界の注目を集めてきた。しかしそれは、世界の文化に普遍的な影響を発揮するまでには至っていない。いわゆる「オリエンタリズム」の影を残している。
われわれ自身が、日本文化の持つ普遍的な価値を認識し、それを世界に発信し、生かしていくことが求められているのだ。
今や日本を代表する文化となったアニメ、和食、忍者など、サブカルチャーや身近なものから日本に関心を持つ外国人が、さらに武士道や伝統文化の多様で深い世界に触れる機会を用意し、発信していく必要がある。
日本文化の基層にあるのは、自然や人間を超えた存在に対する感謝と畏敬の念である。そして、島国という環境の中で人々の和を尊んできた。
宮崎駿氏のアニメや素材の味を生かす日本料理にも、こうした文化のバックボーンがある。日本人のホスピタリティー「おもてなし」の精神も然(しか)り。
これらの特徴は、東京五輪の開会式のイベントなどでも、さまざまな形で表現されることになると思われるが、そういう公の場以外にも身近に接する機会を増やしたい。
自国への誇りと謙虚さを
民族、宗教の対立、自国中心主義を容認する傾向、地球環境の悪化など、これまでの欧米流の思想の限界が明らかとなった今こそ、調和を第一とする日本文化は、普遍的なレベルで世界に発信されるべきである。
文化は、日常的な生き方の表現であり集大成である。情報化が進む現代、何よりわれわれ日本人が、自国文化への誇りと謙虚さを持って発信、提供することが重要だ。