主張 年頭にあたって 令和・日本の揺るがぬ基軸
「天意」問いつつ国造りを
令和初の年が明けた。今年は56年ぶり2度目の東京オリンピック・パラリンピックが行われる。前回1964年は高度経済成長期の真っただ中で、戦後の目覚ましい復興を象徴する大会だった。一方、今回は低成長時代下、少子高齢化が急速に進む「成熟国家」の抱える課題が深刻な中での五輪開催となる。
平和希求した昭和天皇
この時代相の大きな変化の中で、改めて国家のあり方を問い直していくことが求められている。為政者はもちろん国民においても国策、社会の営みを何を基軸として進めていくか確認する必要があるだろう。
五輪開催にあたり、「夢よ、もう一度」ではないが、これを契機に新たな「復興」に期待感が高まるのも分かる。しかし、こうした経済活力を中心とするには限界がある。
日本国家という「軸」の原点は天皇であった。未曽有の戦禍を生んだ戦前の誤りが、天皇中心主義にあったとする誤解がいまだに根強い。左翼史観の影響によるものだが、事実は「天皇中心主義」だったからではなく、むしろ時の為政者や軍人たちが、天皇の御心(みこころ)から外れたことが、悲惨な結果を生んだのである。
一連の皇室行事に貫かれている国民の安寧と世界平和、五穀豊穣への祈りがその御心であれば、これをさまざまな形で具現化していくことが政(まつりごと)といえる。
昭和天皇は、昭和16年9月6日に首脳陣を集めて開かれた御前会議で「よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ」の明治天皇の御製を引き、明治天皇の「平和愛好の御精神」を説かれた。しかし、その御心に反して日本は米英との戦争に突入したのである。
このままでは、日本は滅びてしまうと終戦の御聖断を下され、マッカーサー司令官に対しては、その身を投げ出だされてすべての責任を負う姿勢を示された。そして何よりもその後の荒廃した全国土を巡幸され、国民を励まされ勇気づけられた。こうして天皇の御心と国民の心が一つになったことが、奇跡の戦後復興の原動力ともなったのである。
今また、皇位の安定的継続をめぐって、さまざまな議論が起きている。議論をすることは重要だが、それが、国家の「原点」からズレるものであってはならないだろう。その意味で皇室御一家への興味本位の記事や風評の類いは慎みたい。
天皇陛下が即位式で誓われた「国家の安寧と世界平和」への希求は祈りの大きな柱である。日本を取り巻く内外の環境は依然として厳しい。内政を見ても、将来の国力を考える上で重要な出生数(2019年)が86万4000人となり、90万人を初めて割り込んだ。厚生労働省の想定より2年早まるなど深刻だ。
真価問われる安倍政治
一方、外交に目を転じると、戦後最悪ともいわれる日韓関係、北朝鮮の核・ミサイル、拉致問題、米中関係の行方など難題が横たわっている。
これまで精力的に「地球儀外交」を展開し、存在感を示してきた安倍晋三首相だが、今年はその安倍外交の真価が問われることとなろう。
「外交は内政の延長」といわれるが、まさに国家の安定的基盤の強化が求められている。
その中で、憲法改正は、憲政史上すでに最長の政権となった安倍政権の歴史的評価を決するものであるばかりでなく、日本国の将来を決するものとなろう。
そうした国家の大きな岐路をどう進むか。昨年11月に逝去した中曽根康弘元首相は、「政治は文化に奉仕すべし」を持論の一つとしていた。政治(権力)は至上のものではなく、世俗を超えた存在に対する謙虚な姿勢を追求したのも、冒頭述べた「天意」を問うことと通じるものがある。
令和の新時代の意味をもう一度、原点に思いをはせ、天意に沿いながら、国家の安寧と、国際社会への貢献を果たす道を歩んでいきたい。