教育の場で正しい道徳観を
親が子を殺す…恐ろしい世の中になったものである。小学4年の栗原心愛(みあ)ちゃん(10)が、自宅の浴室で、心肺停止の状態で見つかった、という事件が新聞・テレビで報道され、その詳細が知りたくて、私は週刊誌を買い、その記事を読んだ。
商社マンの父親、栗原勇一郎容疑者(41)による、あまりに残酷な殺害の仕方に、その憎しみの情が、どこから来るのか、考えてみた。
出身は関東の千葉県である。商社マンとして沖縄に勤務し、その観光宣伝をしていた普通の会社員である。
同誌によれば、社内でも、また地域社会でも明るく振る舞う良きサラリーマンで、良き父親と見られていたようだ。
しかし、それが豹変(ひょうへん)して“鬼父”(同誌)となる驚異の心理変化は、一体どこから来るのであろうか。私には不思議に思われた。
しかし、いま警察の調べで、その実態が明らかにされ、われわれの想像以上の残忍さが若い父親、栗原勇一郎の心を蝕(むしば)んでいたことが分かってきた。
彼の狂気は突然に現れたのではなく、既に、幼い心愛ちゃんの体をくまなく痛め続けたようである。
遺体の傷は見えない部分に集中していたといい、「ダブル離婚も復縁」など、彼は妻をも暴力で黙らせる性格の二面性を持っていたようである。
会社や地域住民への社会的対応は心得ていても、いったんわが家に入ると、そこは彼の欲望の赴くままに暴力を振るう、恐るべき二重人格者だったのだ。
それは妻にも及び、心愛ちゃんの母親もまた、心理療法で病院通いをしていたようである。その恐怖のために、妻もまたわが子に対する夫の暴力を黙視するしかなかったのだ。
人間の心は正邪二つの心を持つ。
愛情と知性を持つ父母に育つ子供たち、さらに学校という教育の場で、正しい道徳観、正義感を身に付けることができて、初めて人間は、社会に通用するヒューマニズムを持つ人間に育つのである。
しかし、戦後の教育は共産革命を狙う日教組という邪悪な教師集団により、大きく歪(ゆが)められた。
それは、社会主義、共産主義を目的にする、社・共両党による異常な政治集団と化した。
政治家はそれを明らかにせず、“革新”と自称する社・共両党は70年の年月をかけて、日本人の心を歪め、傷付けた。
その結果が今、若い父親に、また弱い母親に現れてきたのである。
既に彼らの親たち、彼らの父母から、その芽が出始め、70年の年月をかけて、今、わが子殺しも、平然と行う“狂気”の人間を作り上げたのである。もはやそこには先祖崇拝も、子や孫を愛し、育てる責務も、雲散霧消したのである。
この悲劇を今の日本人の心に潜む悲劇と知っている人が、どれほどいるだろうか。
今に生きる学者、文化人が、この悲惨な現実を、どれほど知っているだろうか。否、私は知りつつ黙しているのではないかと疑っているのだ。わが子、わが孫だけが無事ならそれでよい。そう思っているのではないか、と私は疑っている。
しかし、その天罰は、いつかわが子、わが孫に降ってくる、と思わなければならないだろう。