伝統受け継ぎ海の護りを

 かつて我が帝国海軍は世界三大海軍の一つに列(つら)なり、その中核部隊である「連合艦隊」の名は海国日本の絶対的な護りとして、国民の憧憬(しょうけい)の的であった。昭和20年11月30日、帝国海軍は70余年の歴史に幕を下ろしたとされるが、その組織としての一脈は断絶せずに戦後も継続した。

 海軍掃海部隊が日本周辺海域に敷設された機雷の掃海任務に就き、朝鮮戦争では朝鮮半島海域に出動し掃海作業に従事したのであった。こうした活動を経て昭和27年に海上警備隊が創設され、これが2年後の昭和29年に現在の海上自衛隊となったのである。

 海上自衛隊は如何に敗れたとはいえ、帝国海軍の栄光と伝統を重んじ継承してきたかは、この発足の経緯からも知ることができるのだ。

 筆者が若かりし頃、拝眉の栄に浴した海上幕僚長はみな海軍兵学校出身者であったが、海幕長の応接室には東郷平八郎元帥の御真影が飾られていた。威厳に満ちた元帥の顔と、炯炯(けいけい)たる眼光に射抜かれるようで、そこは荘厳な空気が満ち満ちており、これが帝国海軍の伝統というものかと思ったものだ。

 午前8時ぴったりに喇叭(らっぱ)譜(ふ)「君が代」の音(ね)とともに自衛艦旗が静々(しずしず)と艦尾に揚がる。上甲板にいる者は自衛艦旗に対し挙手の敬礼を行い、中甲板以下にいる者はその場で姿勢を正す。こうして帝国海軍と同じように海上自衛隊の一日が始まるのだ。自衛艦旗は帝国海軍の16条旭日(きょくじつ)旗の軍艦旗と同一の旗を採用したものであり、帝国海軍同様にシンボルとしての自衛艦旗は尊崇の対象となっている。

 その自衛艦旗に対して今度も韓国が難癖を付けて日韓関係に禍根を残すことになった。11日に済州島で行われた「国際観艦式」に海上自衛隊を招待しておきながら、韓国海軍が自衛艦旗の「旭日旗」に対する韓国国民の感情を考慮し、自衛艦旗を掲揚しないよう要請したのだ。

 自衛隊制服組トップの統合幕僚長・河野克俊海将は「自衛艦旗は我々の誇りであり、降ろして行くことは絶対ない」と記者会見で述べ、自衛艦旗掲揚の断固たる決意を示した。当然である。

 一方、韓国国内では旭日旗を日本の軍国主義の象徴の「戦犯旗」だとして糾弾。韓国与党「共に民主党」の院内報道官の女性議員は「戦犯国の日本が旭日旗を誇っているのは、日本が永遠に二等国家にとどまるしかない理由ではないか」と主張するのをテレビで見て唖然(あぜん)としてしまった。

 自衛艦旗の掲揚は自衛隊法で義務付けられており、国際法でも民間船舶と軍艦を区別する「外部標識」に該当し認められている。これが国際ルールなのだ。国際ルールより国内事情を優先した韓国側の主張は世界各国の海軍からすれば、まことに非常識で無礼だ。こういう国を二等国家と言うのだ。

 海上自衛隊は韓国の観艦式への護衛艦派遣を取り止め、毅然(きぜん)たる態度を示した。これでよい。こんな二等国海軍を恃(たの)みとせず、これからも帝国海軍の良き伝統を受け継ぎ、大海軍の矜持(きょうじ)を持って海国日本の護(まも)りをしっかりとやってもらいたい。