サリン事件から23年 変わらぬ危機管理音痴

日本人の非合理的発想

 この3月21日で地下鉄サリン事件から23年になる。世界でも珍しい特殊なテロ事件を経験した日本で、その後に何かが変わっただろうか?

 例えば東京メトロは全ての駅に駅員の数だけ防毒マスクを配布することを、23年間の間に何回か計画した。だが実現できなかった。「駅員だけ助かればよいと思っているのか?」という世論の批判を恐れたのである。

 まず駅員が無事でなければ被災者の避難、誘導もできない。そのような常識さえ日本の社会では、世論の感情に流されて通らないのである。

 また東京メトロが、あの事件の後に監視カメラ等を充実させ、その映像を必要な時は外部の警察等と共有するシステムを構築し始めたのは、東京五輪が間近に迫った最近になってからだ。20年以上の歳月が無駄にされた。

 国によるサリン解毒剤の備蓄等も安全保障問題に敏感で強力な指導力を持った安倍晋三氏が総理大臣に返り咲いてから始められた。しかも補正予算等で無理に入れるのが精いっぱいで、そのため備蓄の量や継続性に問題がある。やはり20年以上の歳月が無駄にされている。

 この約20年間のうちに何人かの心ある防衛省関係者が、サリン解毒剤等の備蓄を提案した。だが上司から逆に譴責(けんせき)されたという。「そんなことを考えて実行して、もし本当に同様の事件が起きたら、どうするのか? あんなことは二度と起こらないと思っていれば起こらないのだ!」

 このような非合理的な考え方は日本人に独特のもので、未(いま)だに多数の日本人が無意識的に、この考え方をしているように思われる。東日本大震災からも7年が過ぎたが、実は東芝や日立の技術者は震災前から、想定外の津波が来た時のために、福島原発の自家発電装置を床から高い位置に持ち上げることを、何度も東京電力に提案していた。だが彼らが東京電力から言われたのは、前記の防衛省の上級幹部と同じ言葉だったという。

 この考え方の極めつけが日本国憲法9条だろう。戦争など起きないと考えていれば起きない。この考え方が如何(いか)に間違っていたかは、今の北朝鮮情勢を見ても理解できるだろう。

 この憲法9条をめぐる議論が、いま以上に激しかったかもしれない1970年ごろ、最初はユダヤ系のペンネームを使って世に出た評論家の故・山本七平氏は、このような日本人の考え方を厳しく批判した。デビュー作の『日本人とユダヤ人』の中で彼の言った“日本人は水と安全は無料だと思っている”は今でも重い言葉だろう。“水と安全は高価”なものだ。それを元来は砂漠の民で厳しい迫害を生き抜いてきたユダヤ人はよく知っている。だから今のイスラエルも、厳しい徴兵制もある軍事国家である。

9条の空気から脱却を

 また山本氏は日本独特の“空気”―つまり感情的な雰囲気に正論が通らない日本社会によく見られる現象も厳しく批判した。これも前記の「起こらないと思っていれば、起こらない」という考え方への批判そのものだ。

 山本氏は徴兵で東南アジアの戦場に駆り出され何度も死に瀕(ひん)したため、平和主義者であった。その彼が日本が破滅的戦争に突入する過程を戦後に研究した結果、第2次大戦の要所、要所で参謀本部等で「この戦闘に負けるかもしれないから、その場合の準備もしておくべきだ」という意見が“空気”により無視されたことを重視した。

 憲法9条は平和を保証するものではない。日本を破滅的戦争に駆り立てたのと同じ発想なのだ。

 この発想から脱却しないと、いずれ日本は滅亡する。地下鉄サリン事件から23年の経緯も、それを証明していると思う。