政治家の資質問題 私利私欲排し憂国の情を
田中角栄を今も尊敬
2度目の安倍首相を観(み)ていると、優しい笑顔に隠された真の強さを感じる。
私が、信念の強さから政治家の根性と、憂国の情熱を感じて未(いま)だに尊敬する田中角栄元首相とタイプは違うが、恐らく後世に名を残す首相となるだろうと、想像する。
実は2年ほど前、店頭で見かけた『田中角栄100の言葉』(宝島社)を手に取り、直ちに買った。
表紙の帯には、「やれ! 責任はワシが取る!」の、角栄らしい言葉があった。
昨年、2015年は、戦後70年でメディア各社は多くの特集を組んだ。
その中の読売新聞には、戦後70年間の歴代首相の中で業績を評価する首相を世論調査で挙げてもらったところ、1位は「今太閤」と呼ばれた田中角栄、2位は小泉純一郎、3位は吉田茂、4位は佐藤栄作、そして5位に安倍晋三の各首相の順だった。
5人とも各々強い個性を持ちながらも確かな信念で、戦後の混乱の日本を立派にリードした(している)正義の実践家だ。
政治家は評論家ではない。時には命懸けの改革を行い、それを実行する実践家でなければならない。公約を発表し、それを実行する力を持たなければならない。今日より明日へと国民を平和と安全、さらに幸福への道を開いていかねばならない。その知恵と実行力が求められる。
閉幕した通常国会中に、安倍首相は衆議院議員定数を10減らし465にしようと提言し、衆院選挙制度改革関連法が成立した。結構なことである。私は米国などと比較し、衆参合わせて350~400人で日本の政治は十分可能と考えている。
さらに、もう一つ付け加えれば、昔の政治家の手当は少なく、“井戸塀”と呼ばれた地域の名士が、やむなく引き受けた議員たちだった。
それが今は、議員も驚くほど高額報酬になっているようだ。昼のテレビはあまり見ない私だが、選挙後のある日、ふと見たテレビ画面に初当選の若い議員が、月末の報酬袋の札束を数えて200万円以上の高額に、びっくりする顔が写った。カメラマンが面白がってカメラを向けたのだろうが、あれを見た国民は驚いただろう。
戦前の“井戸塀”どころか、資産を増やし、金銭欲で群がる衆愚政治となるのも不思議ではない、とそれを見て私も思った。国家の行く末よりも、我が身の財産を考え、その味を占めたものは、なんとしても子や孫へ継がせたいと思うのは当然だろう。
恥を知らない舛添知事
東京都では舛添知事の政治資金の公私混同が議会で厳しく追及されて知事の辞任となった。舛添氏の事件をテレビで知った時、「なんて恥ずかしいことを…」と、思わず心で呟(つぶや)いた。この人は恥を知らない…、そう思った。政治家そのものが正義よりも金銭欲となり、私利私欲に走るなら、日本の行く末は良くなるはずがない。
議員数削減もさることながら議員報酬も下げる決断が必要である。リーマンショック以来の不況は未だ収まったとはいえない。若者は大学を出ても職探しに明け暮れる今、議員自ら身を引き締めるべきだろう。
世界経済の波は当然のように我が国にもやってくる。政治家は国民を救うために、自らを犠牲にする覚悟をもって国政に当たらなければならない。
私が尊敬する政治家・田中角栄は同書で明確に語っている。
“いい政治というのは国民生活の片隅にあるものだ。目立たずつつましく国民の後ろに控えている。吹きすぎて行く風――政治はそれで良い”
“教育に政治を持ち込み混同させていることが間違いだ。一定の思想を混同させ、教育を混乱に追い込んでいる。政治から教育を切り離すことが急務だ”
私も同感である。





