安保法制のPR不足 改善を要する政府・与党

反対派に押された印象

 安保法制は成立したが、反対派の議論に押された感じを国民に与えた。そこで、政府・与党側の立場から、問題点を指摘する。

 1 緊張感不足について

 戦後、日本の安保政策は、保守派と中間派の支持で成り立っていた。今回は、反対派から中間派に対して、「戦争法案」、「壊憲」などのレッテル張り作戦やデモが行われ、政府・与党は最後まで押されていた。その原因を一言でいえば、国民に対してのPR(広報)が、不十分であったからである。そのため、安保法制についての世論調査では、否定的な意見が、賛成という意見を上回っていたのである。

 高坂哲郎氏は、「保守層は、安全保障の具体策については政府に委任、あり体に言えば『丸投げ』してきたと見ることもできる。日本政府の当局者の中には『安保政策は我々プロが決めるから、国民は我々に黙って任せてくれればよい』といった空気も散見され」た、という分析をする(『世界の軍事情勢と日本の危機』日本経済新聞社、2015年)。

 安保法制に反対するデモ参加者に対しては、保守派は我々も「表現の自由」(憲法第21条)を積極的に認める。ただし、国会周辺で行うべきではない、と諭すべきであった。

 安保法制は、中国などの行動に対して、「日本人の命と平和な暮らしを守るため、あらゆる事態を想定し、切れ目のない備えを行う」ための法制度である。そのため、日本国民で、日本から戦争を仕掛けると思っている者は皆無である。政府・与党は、国会周辺でデモを行っている者達に、デモを行う場所は、「中国大使館などですよ」と主張すべきであった。

 2 解釈改憲について

 「自衛権の発動としての戦争も交戦権も放棄した」という吉田茂首相の答弁が、憲法9条の解釈における原点である。安保政策は、国際情勢の変化に応じて、憲法9条の解釈を変更してきた歴史であった。その度ごとに、憲法学者やマスコミは、憲法違反と騒ぎ、日本は戦争に巻き込まれるなどの反対論を主張してきた。憲法学者やマスコミが、国民を不安に煽(あお)るだけで、過去の言動について反省もしていない点を厳しく追及すべきであった。

 八幡和郎氏は、「いま憲法学者の意見のいうとおりやれといっている一般国民は、過去に自衛隊、安保、日韓条約なども憲法学者たちがいってきたことが正しく、政府が間違っていたという意見なのでしょうか。そんな過去にデタラメをいってきた連中のいうことに乗っていいのでしょうか」、と述べている(『誤解だらけの平和国家・日本』イースト・プレス、2015年)。

 3 立憲主義について

 安倍総理は櫻井よし子氏からの取材に対して、「国家の自然権として自衛権を持っているわけですし、国連憲章51条にはすべての国が、個別的自衛権と集団的自衛権を持っている、とあります。国連憲章が出来た後に現憲法が成立しています。そう考えると、現在の『権利は有しているが、行使はできない』という政府解釈は限界にきていると思います。国内の理屈でそう訴えても、世界では通用しません」と述べていた(安倍晋三「全文を書き直す気概を持つべし」『諸君』2005年6月号)。安倍総理の考えを、国民に対して、積極的にPRすべきであったと考える。

憲法見直しも立憲主義

 ケント・ギルバート氏は、「憲法とは本来、権力者に義務を課すことで、専制を防ぐものだ。権力者の義務には、他国の侵略を防ぐ国防が含まれる。歴史上、有効性が証明済みの国防手段は、軍事力と軍事同盟である。国防義務を十分に果たすうえで憲法9条が障害であれば、9条こそが憲法違反という単純な論理…。条文にとらわれず、憲法の存在理由に立ち返って考えることこそ、真の立憲主義だと私は思う」、と述べる(『夕刊フジ』平成27年10月3日)。

 ギルバート氏が指摘する立憲主義は、安倍総理の主張する立憲主義と一致するのである。