日本の政治家も地政学を学べ 「悪の論理」で動く国際政治

GHQにより禁止

 最近でこそ、日本でも地政学という言葉が使われるようになったが、戦後、日本に進駐した占領軍(GHQ)は、日本の台頭を恐れて地政学の研究を禁止した。

 このため、日本では国家戦略に決定的に必要となる地政学の知識を持った日本人を養成してこなかった。

 米国やロシアをはじめとする世界の主要国は、国家戦略の中心に地政学を昔も今も据えている。『ハートランド論』、米国のマハンの『海上権力史論』、スパイクマンの『リムランド論』、ドイツのハウスホーファーの『統合地域論』、チェーレンの『自給自足論』などが古典的地政学だが、歴史に名を残す世界の指導者たちは、これらの地政学の理論を理解している。

 歴史上で最初に地政学的な考え方を書いたものとしては、古代インドの名宰相と謳われたカウティリアの著書『実利論』だ。

 彼はこのなかで、王に対して「いかに世界を支配するか」ということを指南し、諜報作戦、女スパイの使用、毒薬の調合の仕方などを記した。さらに隣国との関係性を地理によって規定した外交政策を説いている。

 諜報作戦、女スパイの使用、毒薬の調合などは、スパイ映画のシーンと思われがちだが、現実の国際政治の場では、いまでも同じことが行われ、マスコミを騒がすことがたびたびある。時代が変わっても、人間の本質は同じであり、『実利論』が実戦されていることを物語っている。

 「孫子曰く、兵は国の大事なり」という有名なこの書き出しから展開されていく世界で最も古い兵法書である『孫子』は、地政学を研究するうえでも、ビジネスの世界でも参考になる古典兵学の一つである。

 この書は、古代中国の春秋時代(紀元前770~紀元前403年)に呉の王に仕えた孫武によって書かれたもので、13篇で構成されている。

 日本に『孫子』を最初に伝えたのは、遣唐使に随行して中国に渡った吉備真備だと言われている。その後の日本の歴史の中で、源義家は『孫子』の実戦への応用に長(た)けていたとされている。また戦国武将の多くが、中国の古典兵学に通じていた。

 江戸時代には、林羅山、新井白石、萩生徂徠などの徳川幕府の儒官は、それぞれ『孫子』の解説書を著している。吉田松陰も兵学を学び、10歳にして中国の古典兵学をそらんじており、14歳で定期的に『孫子』の講釈をしていた。

 現代において、『孫子』がもっとも応用されたのは、アジアにおける共産主義者のゲリラ戦法だったと言われている。

 なかでも毛沢東が著した『中国革命戦争の戦略問題』『持久戦論』のなかで論じている戦略と戦術に関する考え方は、現代版『孫子』と言えるぐらいに酷似している。

 同じ共産主義者でも、ソ連のスターリンは、軍人たちが平板な地図を前に戦略を検討している間、地球儀を眺めながら戦略を練っていた。全世界を視野に入れたスターリンの発想から、日米両国を戦わせて消耗させるという戦略が生まれたのである。

指導者の必修条件

 日本の政治家諸氏は、昭和52(1977)年に出版されベストセラーとなった倉前盛通著『悪の論理―ゲオポリティク(地政学)とは何か』(日本工業新聞社)を是非とも読むべきだろう。すでに絶版になっているが、国会図書館に行けば読めるはずだ。時代が変わっても地政学の重要性は変わることはない。

 特に国家指導者(首相クラス)たるものは、倉前氏の本を読んで、国際政治は過去・現在・未来を通じて、「悪の論理」で動いているという認識を持つべきだ。

 日本人は人を疑うことや、人を騙(だま)すことに後ろめたさを感じる民族であるが、倉前氏の本を読めば、国際政治の場では、人を疑う、人を騙すことが常識であると理解できるようになる。

 日本にも、「悪の論理」で国際政治を読み解き、分析・行動する指導者が必要なのである。