日中・日韓関係、戦後70年とは何であったか
世日クラブ
政府は本格的な反論を
拓殖大学学事顧問 渡辺利夫氏
拓殖大学学事顧問(前総長)の渡辺利夫氏は、このほど、世界日報の読者でつくる「世日クラブ」(会長=近藤讓良・近藤プランニングス代表取締役)で「戦後70年とは何であったか~日中・日韓関係」と題し講演を行った。その中で、渡辺氏は中韓から一部の欧米諸国まで飛び火している歴史認識問題について、朝日新聞や旧社会党など日本の一部の勢力が作り出した問題だと指摘。国際社会に向け、政府が本格的に反論する必要性を強調した。以下はその要旨。
一部勢力が作った歴史問題/国内世論の喚起が必要
今、中国、韓国から日本人の歴史認識問題が厳しく問われている。これが、米国や一部ヨーロッパの国にも飛び火している。どうもこの「歴史戦」において日本は敗色濃いようだ。どうしてこのような体たらくになってしまったのか。

わたなべ・としお 1939年6月山梨県甲府市生まれ。慶應義塾大学卒業、経済学博士。筑波大学教授、東京工業大学教授を経て現職。外務省国際協力有識者会議議長(前)。第17期日本学術会議会員。アジア政経学会理事長(元)。外務大臣表彰。正論大賞。『成長のアジア停滞のアジア』(吉野作造賞)、『開発経済学』(大平正芳記念賞)、『西太平洋の時代』(アジア・太平洋賞大賞)、『神経症の時代』(開高健賞正賞)、『アジアを救った近代日本史講義―戦前のグローバリズムと拓殖大学』(PHP研究所)『放哉と山頭火―死を生きる』(ちくま文庫)など。
歴史認識問題とは、いわゆる従軍慰安婦問題や首相の靖国参拝問題、歴史教科書問題のことだが、おそらく今年あたりからは、これに南京事件が加わって、日本は厳しく責め立てられるであろうと予想される。
まず、誰がこの問題を作ったのか。中国や韓国が作ったのではないかと想像する方が多いと思うが、そうではない。実は、すべて我々日本人が作った問題である。つまり“メイド・イン・ジャパン”だ。
我々は、何と戦わなければならないかということをはっきりさせる必要がある。本屋に行くと、いわゆる「反中本」、「嫌韓本」が並んでいるが、これらを読んでも多少溜飲を下げるだけの効用しかない。実は日本人の中にこうした歴史問題を作って、北京、ソウルにご注進する勢力がいるということを知らなければならない。
一昨年の12月に亡くなった故岡崎久彦氏のことを、「我が内なるオピニオンリーダー」だと私は思っている。大概のことはこの人の判断に従っていれば間違いない、という人が岡崎氏だ。
岡崎氏は亡くなる半年ぐらい前、月刊誌「Voice」の2014年3月号に「歪(ゆが)められた戦後の『歴史問題』」という論文を発表した。その中に「戦後一世代を経て、戦争の記憶は過去のこととなっていたのである。そして、いったん過去となった問題が復活した発端は、すべて日本人の手によるものである」とある。
昨年は戦後70周年という節目の年だったが、ジャーナリズムの主流は「中国、韓国との間では、歴史認識問題が戦後70年経(た)ってもなお解決されない課題として残されている」という主張であった。テレビや新聞で皆様もよく耳にし、目にしたのではないか。しかしこれは誤解である。
歴史認識問題に関して、中国や韓国が日本に強く迫るようになったのは、いつかというと、1980年代に入って以降のことだ。それまで、日本人は歴史認識問題という用語自体を知らなかった。国内で問題になったことはなく、もとより外交問題では一切なかった。その間何も問題ではなかったことが、三十数年経って急に大きな問題となった不思議さを考えてみる必要がある。
悲劇的なことが起きても、時間の経過と共にその記憶は徐々に薄れて、やがて消失していくものだ。しかし、この歴史認識問題に関しては時間の経過とともにますます鮮やかに記憶が再生産されている。つまり、これは作られた問題だということだ。
問題の発端は、1982年6月に当時の日本のあるテレビが教科書検定で旧文部省が、「侵略」という記述を「進出」に書き換えさせたと報道したことだ。これが誤報だということはすぐにわかった。しかし、文部省が書き換えさせたと大新聞に掲載されてしまった。この誤報がソウルと北京に伝わっていった。当然、政府は「この報道は間違いですよ」と言うべきだったが、当時の宮澤喜一官房長官は談話で、近現代史の記述において、近隣アジア諸国に配慮を求める「近隣諸国条項」を発表した。翌年以降、ある種の自主規制が強まることになった。教科書に対する中韓の介入の余地を与えてしまった。これが歴史認識問題の発端だ。
なぜ三十数年間経ってこれが大きな問題になったのかということについても、岡崎さんは、得心のいく答えを出している。同論文に「(GHQによる)軍事占領は、7年間続いた。21世紀初めに日本社会の指導者であった60歳代(1930~40年生まれ)の人々は、ことごとくその少年期の人格形成期の中にその7年間を体験していることになる」とある。
「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」という、二度と日本人を米国に歯向かわせないために戦争への贖罪感を持たせるプログラムである。これを占領期の7年間にわたり展開された。この期間に少年時代の人格形成期を送った世代が、大学に行ってマルクス主義を全身に浴び、卒業後、学界に残り、ジャーナリズムに入り、官僚になるなどした。80年代に入る頃には、彼らが日本の指導層になり、自分で意思決定できるようになった。この時代になってマルキシズム、あるいはリベラリストの花が開いた。そうでなければ、歴史教科書問題で、誤報を真実だと思い込んで新聞の一面に全国紙のすべてが載せるようなはずはない。権力者なら十分そういうことをやりかねないという思潮が、当時の日本社会をおおっていた。
二つ目は、靖国参拝問題だ。これも、三十数年間誰も問題にしなかったが、85年の8月7日、中曽根康弘元首相の「靖国懇」が首相の公式参拝を認めるという報告を出したことをきっかけに、大問題となった。その時、社会党、朝日新聞が、猛烈な反靖国キャンペーンを行った。猛烈な運動の中で8月15日、中曽根氏は靖国神社に参拝した。
それからしばらくして、田辺誠という当時の社会党の党首を団長とする訪中団が、中国の副首相と面会し「日本は軍事大国を目指す危険な兆候がありますよ、軍事費がGDP1%オーバーしますよ。黙っていていいのですか」といった趣旨のことを話した。日本の反権力グループが、中国にご注進に及んで反日運動を引き出すということをやってしまった。その後、靖国に参拝する首相の足が滞ってしまったのはそのためだ。
三つ目は、いわゆる従軍慰安婦問題だが、これに関しては朝日新聞が一昨年8月に検証記事を2日にわたって掲載し、吉田清治氏の証言に信憑(しんぴょう)性がなかったことや慰安婦と女子挺身隊とを混同していたことを認め、これに関する記事すべて取り消すとした。
しかし、この問題に関しては、今では中国、韓国だけでなく、米国や英国でクオリティーペーパーと言われるニューヨーク・タイムズやフィナンシャル・タイムズ、ワシントン・ポストまでが、日本はひどいことをしたと言いだしている。
昨年5月、欧米の日本研究者187人が連名で声明文を発表し、日本の従軍慰安婦制度は、「その規模、軍による組織的関与、植民地・占領地からの女性調達、搾取などの点から見て、20世紀の戦時性暴力の中でも特筆すべきものだ」と主張した。
これに対し、我々日本の学者が、昨年8月6日に東京・有楽町の外国人特派員協会で会見し、「日本のこの問題に関する真摯(しんし)な研究者の成果は、米学者によるそのような断定が検証に耐えられるものではないことを証している。米学者の主張は、検証研究の成果を無視した極めて不適切なものだ」と反論した。残念ながら、米国のクオリティーペーパーは、この主張を取り上げてくれなかった。我々がどんな反論をしているのかさえも伝わっていないことは誠に残念だ。
我々学者だけにこんな重大な責任を負わせて話が済むだろうか。国が本格的に反論すべきだが、まともにできていない。
政府は、宮澤談話、村山談話、河野談話などによって自縄自縛に陥っている。反論しようにも反論しようがないのが本音なのではないか。
こうした状況の中で我々ができることは、中国や韓国の悪口を言うことではなく、日本の世論を喚起することにより、政府を動かし、国会やジャーナリズムを動かしていくことだろう。