「保守」と「リベラル」 冷戦終結で対立軸曖昧に

政党に歴史と政策の一貫性必要

 昨年から、論壇において「保守」「リベラル」とは何か、といった論議が続いている。グローバル化、情報化などで社会構造が複雑になったことで、政党における対立軸が入り組み、分かりにくくなったことを反映しているのだろう。その反動なのか、「親安倍」か「反安倍」か、というように政治姿勢を単純化させる風潮も強まっている。

 月刊誌3月号で、「混迷する日本政治――保守・リベラルのゆくえ」と題して、識者の対談を掲載したのは「潮」。出席者は国際政治学者の三浦瑠麗、慶應義塾大学教授の渡辺靖、作家・ジャーナリストの佐々木俊尚、哲学者・作家の東浩紀。

 リベラルは「自由な」「自由主義の」といった意味の英語だから、個人の自由・人権を重視する一方、国家権力に対する警戒感の強さなどを特徴とするイメージがあるが、日本においてはその政治陣営としての定義は曖昧。このため、「保守もリベラルも陣営の名乗りにすぎず、空中戦を繰り広げ」(三浦)るような状況が生まれている。

 冷戦時代は、政治の対立構造を説明する場合、「保守対革新」という言葉が使われたが、ソ連共産党の消滅により、「左派」や「革新」のイデオロギーが失われる中で、リベラルは「左派という言葉の単なる言い直しにすぎない」(佐々木)という見方もできる。つまり、かつての「保守対革新」が「保守対リベラル」の構図になったにすぎないというわけだ。

 興味深い見方を示したのが東。保守とリベラルの違いを「日本という国家のアイデンティティーについての考えの違い」とした上で、「明治維新以降の近代国家を一つの連続体として見る人たちが保守」、「戦後の日本をアイデンティティーとする人たちがリベラル」と定義した。この見方をさらに進めると、リベラルは戦後日本、特に冷戦期の状況を守ろうとして保守的になり、逆に保守は冷戦期の日本を変えることに積極的という意味で進歩的になるというねじれ現象が起きている、としている。

 ただ、東は、日本のアイデンティティーを軸にした保守とリベラルの議論では、グローバルな世界への対応ができず、これが日本の論壇における議論を貧しいものにしていると喝破した。

 佐々木はインターネットなど新しいテクノロジーによる「権力の分散化」によって、政府だけでなく「それと同じくらいNPOや企業などの力を結集していくしかない」と強調。渡辺も「日本の保守もリベラルも、グローバリゼーションのなかで、国家がわきまえる領域(りょういき)を、計(はか)りかねているように思います。政府以外のアクターがどんどん増えています」と語った。

 こうした政治・社会情勢の中で、日本の政治に求められるのは「確固たるアイデンティティーと歴史の長さを持つ政党であり、そして、その政党をずっと信頼して投票し続ける有権者だ」という東の主張は説得力を持つ。(敬称略)

 編集委員 森田 清策