尖閣防衛の覚悟 自由社会の運命を左右

自分で守るべき自国の領土

 中国公船が領海侵犯を繰り返す尖閣諸島情勢、中国が圧力を強めて緊迫する台湾海峡、新疆ウイグル自治区でのイスラム教徒と香港における民主派弾圧など、中国共産党の脅威についてのニュースが毎日のように伝わっている。こうした中国の動きを受け、保守系の「正論」が特集「横暴国家・中国」を組んだのをはじめ、論壇には国際秩序と人権を踏みにじる中国問題をテーマにした論考が多いのが月刊誌5月号の特徴だ。

 覇権主義を強める中国に対する日本人の不信は強まる一方だが、それでも、日本の中には国際社会における米国の地位低下は止められない上、中国とは経済的な結び付きが強いのだから、米中対立に巻き込まれずに日本独自の対応を取ればいいとの意見がある。

 5月号を見ると、多くの識者がその意見を否定するとともに、尖閣防衛一つ取ってみても、今や日本の対応は世界の自由と安全に関わる重大課題であるという認識を示している。しかし、その認識を共有する政治家や一般国民は少ないのではないか。そこで、今回は尖閣諸島情勢を中心に、国際的な視野に立って、日本の対中政策を考えてみたい。

 その点を浮き彫りにするため、まず激化する米中対立の中で、日本は中立を保つことは可能なのか、と問い掛けてみよう。慶應義塾大学法学部教授の田所昌幸は「Voice」に寄せた論考「米中対立での中立はあり得ない」で次のように述べている。

 「米ソ冷戦期には、日本は米ソ対立に巻き込まれるべきではないと考えた人びとも相当数いた。こういった人びとは、日本は中立を宣言して米国との距離をとれば、ソ連陣営は脅威ではなくなると主張した」

 確かに、冷戦期にあっても国際関係を性善説で見る傾向が日本にはあった。しかも、「アジア主義者」がいて、そういった人間は反米・親中だが、現在は冒頭に列挙したような状況から、親中派はごく少数派になっているという。

 その上で、田所は「中国とのビジネスはうまくやりつつ、安全保障はアメリカとの同盟を利用して、いわば『いいところ取り』をしようとする誘惑があろう」が、「自由も民主主義も独立も捨てて中華帝国の覇権の下でひっそり生き延びようとするのでない限りは、日本が米中対立の傍観者たることは不可能」と断じている。

 米バイデン政権下の今年1月、オースティン国防長官と岸信夫防衛相との電話会談で、日米安全保障条約が尖閣諸島に適用されることが改めて確認された。では、米国が確実に尖閣防衛に自国の兵士を投入するかと言えば、それも日本の対応次第で大きく変わってくるとするのが冷静な見方であろう。とすれば、まずは日本が自国の領土は自分で守るという覚悟を持つことが必須であり、そうでなければ、米国の信頼を得ることはできないのである。

 要するに、「中国が日本の脅威なのは、米中対立のためではない。中国に対する安全保障に真剣に取り組まねばならないのは、日本自身の課題であり、アメリカに忠義だてするための手段ではないからだ」と、中国の脅威は米中対立に巻き込まれているから生まれているとの見方を否定する。

 そして、「日本の姿勢によって東アジア全体、ひいては世界全体の自由民主主義の運命が大きく左右されることを忘れてはならない。尖閣諸島のような人が住んでいない島であっても、それを守れるかどうかは、軍事力によって一方的に領土的現状の変更をしないという、過去半世紀以上にわたって、世界が育(はぐく)んできた重要な規範を守れるのかどうかという問題でもある」と指摘した。この点が、尖閣諸島の情勢を国際的な視点で見るということなのだろう。

 最後に田所は次のように述べて、日本人に覚悟を決めることを求めている。「いかに巧(たく)みな外交政策やリスク管理も、自由と独立のための負担を分かち合おうとする国民の覚悟にとって代わることはできない。目先の利益に汲々(きゅうきゅう)とするだけの国民なら、いまのような中国の隣で、独立も自由も、そして究極的には食い扶持も守れるはずはない」

 一方、笹川平和財団上席研究員の渡部恒雄は「中央公論」論考「尖閣防衛、喫緊の課題」で、「日本は、尖閣諸島への中国の挑戦を日米共通の課題、さらにインド太平洋および世界の秩序維持を、国際社会が守るべきものの一つとして位置付けること、いわば課題のグローバル化に成功した」と強調した。

 そして、「尖閣防衛」が今や、国際社会の課題になっているからこそ、「日本の尖閣防衛への責任が増したことを忘れてはいけない。日本の尖閣防衛の不備は、米中の対立激化に繋がり、地域と世界を不安定化させるからだ」とくぎを刺した。

 では、日本の尖閣防衛の不備とは何か。これについては、神戸大学名誉教授の坂元茂樹が論考「中国海警法には法律戦強化で対応を」「正論」)で、次のようなシナリオを示して不備の一つを指摘する。中国の海上民兵が無人島の尖閣に密(ひそ)かに上陸して中国国旗を揚げ、日本の海上保安庁が退去要求しても応じないケースで、「具体的にどのような場合が武器使用の条件を満たすのか、法的整理の必要があろう」というのだ。

 尖閣諸島周辺海域における領海侵入を繰り返す中国海警は、「自国の管轄水域で防衛作戦を行う海軍の機能(軍事的活動)と海上法執行機関の機能(法執行活動)という二重の機能をもつ組織」だ。その海警への対応には、海上保安庁と自衛隊でシームレスな対応を取ることができるよう、法の整備が必要となっているのである。

 このほか、「文藝春秋」が外務大臣・茂木敏充の論考「日米豪印で中国の野望を封じる」と、日本共産党中央委員会委員長・志位和夫の「日本共産党委員長 中国共産党を批判する」を掲載した。

 茂木は米国をはじめとした国際社会と連携しながら「中国の力による一方的現状変更の試みにはこれからも強く反対していきたい」とする一方、「そもそも、日本固有の領土である尖閣諸島周辺の領海で独自の主張をする中国の海警船舶の活動、それ自体が国際法違反です。これについては中国に厳重に抗議を続けています。/アジアの国々の中で、ここまで明確な姿勢を中国に示しているのは日本だけと言っていいでしょう」と、自民党政権の対応を自賛するだけで、前述したような法の不備に対する言及はなく物足りない。

 さらに自己宣伝で終わったのは志位だ。「現在の中国の政権党は、私たちと同じ『共産党』を名乗っていますが、覇権主義と人権侵害の行動は、『社会主義』とは無縁のものであり、『共産党』の名に値しません。/私たちの目指す社会主義・共産主義とは、資本主義のもとでの自由・民主主義・人権を全面的に継承し、花開かせる社会です」と、中国共産党との違いを強調したが、それが逆に共産党の弱みを際立たせている。

 日本共産党の宣伝とも言える論考を載せるために、茂木の論考を抱き合わせで載せたのではないか、と疑わせる「文藝春秋」の企画だった。(敬称略)

 編集委員 森田 清策