国家安全保障戦略の閣議決定めぐり「武器輸出」など誤解を煽る朝日

◆誤解解く読売の解説

 朝日と毎日の「暴走」が続いている。暴走とは「他の思惑や周囲の情況を考えないで物事をむやみにおし進めること」(広辞苑)を言う。

 特定秘密保護法では「知る権利」ばかりを言い立て、スパイや工作員、テロリストへの情報漏洩(ろうえい)を防ぐという「他の思惑」は考えなかった。こうした法整備がなければ、他国は情報提供を躊躇(ちゅうちょ)するという「周囲の情況」にも思いが至らなかった。

 先週、初の国家安全保障戦略(NSS)と新防衛大綱が閣議決定されたが、朝日と毎日はここでも他の考えや「周囲の情況」を考えないで、むやみに反対している。

 NSSをめぐる第一報は17日付夕刊で、読売は「初の安保戦略 中国けん制」、日経は「中国念頭に機動力強化」を見出しに据え、尖閣や防空識別圏など中国への懸念が一段と強まっているとする安倍内閣の認識をずばり伝えた。ところが、朝日のトップ見出しは「武器輸出緩和へ新原則」と他紙とはまるで違っており、見事に「周囲の情況」を欠落させた。

 なんとも不可解だ。新大綱は新原則を決めたわけではない。「(三原則が)果たしてきた役割に十分配慮し、武器などの海外移転に関し、新たな原則を定める」としており、中身はこれからの話だ。

 それを朝日は中国への懸念を棚上げにして「新原則」と大騒ぎした。特定秘密保護法では「戦中に戻すな」(7日付)と、明日にでも戦争が始まるかのように煽(あお)ったが、今度は「武器輸出」である。安倍内閣を「死の商人」に仕立てあげるつもりなのか。

 ちなみに新原則について読売22日付「基礎からわかる日本の防衛産業」は、「外貨獲得のために武器を大量に輸出する意図はなく、武器や技術が輸出先からさらに第三国に流出することを防ぐルールなどが検討されることになる」と朝日にクギを刺している。

 朝日と毎日は「周囲の情況」だけでなく、「他の思惑」を著しく欠いている。それは社説に端的に表れている。

◆抑止力に考え及ばず

 他紙は安保環境の厳しい現実を見据え、「日本を守り抜く体制を構築せよ」(読売)、「自衛隊の変革に欠かせぬ陸海空の連携」(日経)、「中国見据え守り強めよ」(産経)と、「守り」を強調する。だが、朝日は「平和主義を取り違えるな」、毎日は「むしろ外交力の強化を」とし、守りの概念がすっぽり抜け落ちている(いずれも18日付)。

 朝日と毎日には「抑止力」という考えができないようだ。朝日は「軍事力の拡大をねらう」とか「『力の行使』にカジを切ろうとしている」、あるいは「軍事偏重の動き」と表現し、毎日は「愛国心の強制を懸念」し、「あまりにも防衛力に偏りすぎていないだろうか」としている。

 さすがに毎日は「防衛力」とするが、朝日は「力」「軍事力」の一辺倒で、ここでも戦争を準備しているかのような言い草である。偏見も甚だしい。外交にも力のバックが必要で、それが国際社会の厳然たる現実だ。力によって相手が軍事力を使おうとするのを抑え止めることができる。それが抑止力で、その概念を抜きにした安保政策はあり得ない。

 ところが朝日はそう考えられないので、安倍内閣が「力の行使」にカジを切ろうとしているとしか見えない。実際はそうではなく、抑止にカジを切ろうとしているのだ。力=行使と単純に捉えるのは軍事悪論の「非武装信仰」に未だすがっているからだろう。

 毎日が「むしろ外交力」とするのも同じ類である。それとも毎日は憲法前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意」しているのか。そうなら、自らの努力を放棄する空想的平和主義と言うほかない。

◆「平和」の盲目的暴走

 かつて英国のチェンバレン首相はヒトラーに対して融和政策をとれば、戦争が起こらないと考えた。いわゆるチェンバレン外交だ。だが、それがかえって戦争を招いた。国際政治学者のジョセフ・ナイ氏は第2次大戦の原因を「1930年代にドイツと対立すべき時に融和政策をとったことである」(『国際紛争 理論と歴史』有斐閣)としている。

 朝日と毎日の論調はこれに通じる。こういう平和を掲げる「暴走」が一番怖い。

(増 記代司)