超高齢化社会を襲う介護2025年問題に警鐘鳴らす東洋経済など

◆各誌揃ってテーマに

 私事になるが、先日の雪が積もった夕方、ある知人宅のマンションを訪問したところ、その駐車場で70代後半の老人に声をかけられた。「妻が車椅子から落ちて動けない。私が持ち上げようにも重すぎて乗せることができない。ちょっと手伝っていただけないか」というのである。一緒に老女を抱えて車椅子に乗せたが、いわゆる老老介護の一端を垣間見た気がした。

 超高齢化社会にあって「介護」は避けて通ることのできない問題だ。一般に老人は65歳以上といわれているが、75歳以上を後期高齢者と位置づけ、約1500万人いる。2025年には全人口の5分の1の約2200万人に達する予測だ。介護は単に家族だけでなく、地域、企業、あるいは経済など全般にわたって様々な影響を及ぼすことになる。

 そうした中で経済誌は「介護」をテーマに取り上げた。週刊エコノミストは12月3日号で「介護離職」と見出しを付け、介護する側から見て、仕事と介護の両立の難しさを訴える。また、週刊東洋経済は「介護ショック」(12月14日号)と題して高齢化が日本に及ぼす影響を分析。一方、週刊ダイヤモンド(12月14日号)は「親と子の介護」とタイトルを付け、具体的に介護をスムーズに行うためのノウハウを中心に特集を組んでいる。

◆「生きる厳しさ」強調

 東洋経済はまず、25年問題に着目した。社会状況について次のように予測する。すなわち、日常生活自立度Ⅱ(生活に支障をきたす症状はあるものの、誰かが注意すれば自立できる)の認知高齢者人口は、280万人(10年)から25年には470万人に上昇。65歳以上の単身世帯(いわゆる「おひとりさま」の老人)も500万世帯から700万世帯に増加するという。

 こうした“老い”の拡大化は地方よりも都市部で進む傾向にあり、介護支援はより深刻化していくと警鐘を鳴らす。さらに現行の介護保険制度は今や制度疲労を起こし、15年4月から改正介護保険法がスタートするが、それで全て解決するわけではないと指摘。ちなみに、改正介護保険法では、一定以上の所得がある高齢者を対象に、利用者負担を1割から2割に引き上げる。また、低所得者でも1000万円超の財産があれば補助の対象外。また、特別養護老人ホームも要介護3以上に限定するなど厳しい条件が課せられる方向にあるが、制度を変えただけでは国民がある程度満足のいく介護を受けるのは難しいようだ。

 「緒に就いたばかりの介護保険の改正は、これから延々と続く、社会保障改革の号砲だ。縮む給付に膨らむ負担を前に、高齢者も現役世代も、生きる厳しさを覚悟して臨まねばなるまい」と結論づける。

 そもそも日本で介護保険制度が導入されたのは00年4月のこと。制度を整備・導入するにあたって政府は、「要介護者の尊厳を保持し、その有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるよう必要な医療保険サービスおよび福祉サービスにかかる給付を行う」「要介護者が本人や家族の所得や財産にかかわらず、要介護者本人や家族が望む必要で十分な介護サービスを介護事業者から受けられる」「要介護者の家族の介護負担と介護費用負担から解放し、社会全体の労働力と財源で介護する」などといった謳(うた)い文句で国民に理解を求めていた。

◆問われる“絆”の回復

 今や介護保険制度は、導入当初の目的やその理想は現実から乖離(かいり)してしまったと言っていい。実際に介護する側の負担はかなりのものがある。ダイヤモンドは、次のように指摘する。「兄弟が離れて暮らしていれば、親の介護を巡って必ずもめ事が起きる。親の介護に想定以上のお金と時間がかかれば、自らの生活が崩壊してしまう可能性もあるのだ。妻に介護を押しつけた結果、夫婦仲が険悪となり離婚に至るケースさえある」

 介護制度がスタートして13年。民間を含めて、様々なタイプの介護保険や介護施設、あるいは高齢者向け住宅が提供されている。政府は今後、要介護者が住み慣れた地域で最後まで過ごす“地域包括ケア”を打ち出しているが、何よりも重要なのは「親の元気なうちに準備しておくことに越したことはない」(週刊ダイヤモンド)というように、親子の対話。人と人との絆が薄れたといわれる日本の社会にあって、介護問題解決の本質は家族、地域の“絆”の回復にあることは間違いない。

(湯朝 肇)