トランプ氏の「わいせつ発言」報道で“下衆な知性”を発揮した新潮

◆勝負あった大統領選

 米大統領選は投票まで1カ月を切った段階で、「勝負あった」状態になっている。安易な予想はすべきでないが、この状況で共和党候補のドナルド・トランプ氏が当選したら、選挙人獲得という米大統領選の仕組みを知り抜いたテクニックの勝利か、でなければ、ペテン以外の何物でもない。

 トランプ氏が“詰んだ”のは「史上最も醜い」と言われた第2回討論会もさることながら、ワシントン・ポストに暴露された「わいせつ発言」動画で共和党からも見放され、窮まったことによる。

 だが、肝心の「わいせつ発言」がどれほどひどいかということが日本の報道では伝わってこない。ここに切り込んだのが週刊新潮(10月20日号)である。「『トランプ発言』一言一句の対訳集」の記事で、いかにも同誌らしい“下衆(げす)な知性”の発揮である。

 まず、日本での報道がどれほど“上品”かを見てみる。①「性的関係を持とうとしたことを下品な表現で告白」(朝日新聞8日付夕刊)②「女性についてわいせつな言葉で語って」(読売・同)③「性的な俗語を使って『何でもできる』などと語っている」(毎日・同)―などだ。

 だが、ワシントン・ポストはトランプ氏の発言をそのまま公開した。何と言っているか、新潮から引用する。①「彼女とオマンコしようとしたんだ。彼女は結婚していた」②「見てみろ。まるでオマンコちゃんだ」③「オマンコもまさぐれる。何だってできるんだ!」―などだ。これを英文と並べている。

 トランプ氏はこの暴露に対して、「ロッカールームでの冗談」で済まそうとし、「自分は未遂だが、(民主党候補のヒラリー・クリントン氏の夫)ビル・クリントンは不倫を実行したからもっとひどい」と言い放った。これにはスポーツ選手などから猛反発を食らっている。

◆「対訳」の形で壁破る

 報道がこれらの言葉を伝える時、日本では「言い換え」が行われる。米国でも同じだが、今回、そのまま報じたのは「極めて珍しいこと」だと「東大教授で日本文学者のロバート・キャンベル氏」は同誌に語る。そして「英語圏の主要な活字メディアではこの言葉をそのまま引用している」とし、「日本のメディアも(略)伝える責任があるんじゃないでしょうか」と「ヌルい報道」を叱っている。

 日本の活字メディアが米国メディアと同じように直截(ちょくせつ)な表現のまま報じることができるかどうかは議論の余地がある。少なくとも新聞やテレビでは報じられない。今回、週刊新潮が「対訳」という形でその壁を破った格好だ。「性的関係を持とうとしたことを下品な表現で」と言われても、ひどさはほとんど伝わってこない。伝わらなければ、トランプ氏への正しい評価材料とはなりにくいだろう。

 トランプ氏に救いの余地はないのだが、「在米ジャーナリストの古森義久氏」は別の角度から捉えている。「今回のビデオの扱い方はまるっきり客観性を欠いています」というのだ。古森氏が同誌に語ったところによると、「ヒラリー自身の欠点が露呈し過ぎるせいで、相手のネガティブ・キャンペーンを展開せざるを得なくなっている」というのである。

 「私用メール問題、『クリントン財団』献金者への便宜供与、リビアで米国大使が殺害された件における国務長官としての過失、自ら進めてきたはずのTPPへの異議申し立て、そして健康問題。とにかくヒラリーの弱点が次から次へと出てくるから、民主党も相手の欠点を批判することで応戦する他ないのです」と古森氏は解説する。こうした視点を添えておくところに、「対訳」といい、同誌の抜かりなさが出ている。

◆唾棄すべき集団強姦

 さて、この週の話題は何と言っても、慶應義塾大学公認学生団体「広告学研究会」(すでに解散)での「集団強姦(ごうかん)」事件だ。週刊文春(10月20日号)も週刊新潮も同時に報じた。極めて不快で唾棄すべき事件だが、過去にも大学サークルでこうした強姦事件が起こっている。そのたびに被害者の人生が狂い、加害者も罪を背負って生きることになる。今回、大学が被害者に対して「警察へ行け」と木で鼻をくくったような対応をしていることが伝えられているが、ある意味正しい。加害者はもう大人だ。実名報道と決められた司法手続きを取ればいいだけのことだ。

(岩崎 哲)