ノーベル賞受賞決定で基礎研究のお寒い現状を指摘するだけの各紙

◆大隅氏が警鐘鳴らす

 「私の研究は、20年前に始めた研究の成果。ノーベル賞学者が日本で毎年出ているなんて浮かれている場合ではない」

 ノーベル生理学・医学賞の受賞が決まった大隅良典・東京工業大学栄誉教授(71)は記者会見などで、事あるごとに基礎科学研究の重要性を訴え、研究を取り巻く現状に警鐘を鳴らしている。今月3日の受賞決定後、公の場で初めて講演したのは7日に横浜市緑区の東京工業大で開かれた同大の研究組織「科学技術創成研究院」発足式典での記念講演。

 「大隅さんは『競争が激化するほど新しいことへのチャレンジが難しくなる。必ず成果で論文になることしかできず、長期的な展望で5年かかるような研究をしてみようというのが続かなくなる』と指摘。国の研究支援が競争的資金中心になり、成果を求める『出口指向』に強まっていることに懸念を示した」(小紙8日付)のである。

 基礎研究とは「特定の応用を考えず、現象や観察可能な事実に潜む根拠に関わる知識を得るために行われる作業」(文科省の科学技術・学術政策研究所による)のこと。日本の自然科学分野の2014年の研究開発費は約17兆5700億円(民間を含む)である。このうち基礎研究の割合は14・8%であるのに対し、新製品生産などの「開発研究」は63・5%、「応用研究」は21・7%を費やしている。それでも大学では基礎研究の割合が半分を超え、研究レベルを支えてきた。それが「公的機関は2000年代半ば以降、基礎研究の割合が減る傾向にある。/基礎研究を主に担う大学でも博士研究員の任期付き雇用など不安定な待遇が問題となって」(時事通信8日付)きたのである。

 こうした基礎研究の現状を直視すれば、大隅氏が真剣に訴えるように、まさに「浮かれている場合ではない」のだ。

◆昨年も同様の論調

 そのあたりを留意しているのであろう。新聞の論調は、すでに昨年の大村智(生理学・医学賞)、梶田隆章(物理学賞)両氏の受賞決定時から、受賞に喜び躍る派手な報道とは一線を画していた。朝日は「人類全体の知の地平を切りひらいた大隅さんに、心から拍手を送りたい」(4日付社説=以下各紙とも)と祝福する一方で「研究の『選択と集中』の名の下に、研究費獲得を研究者に競わせる政策が行き過ぎた結果、日本発の論文は質、量とも一時の輝きを失っている」と指摘し、政府の科学技術政策に再考を求めている。

 昨年「気になるのは多くの受賞実績が一九八〇年から九〇年代の成果である点だ。足元では日本発の論文数が相対的に減るなど、研究開発力の低下をうかがわせるデータもある」(7日付)と指摘した日経は、今年も「足元をみると、主要学術誌に発表された論文に占める日本のシェアは急低下している。海外との共同研究や欧米で武者修行する研究者が減り、研究開発の活力低下」に心配を募らせている。読売も同様の認識を示し「後に続く研究者が、独創的な分野に専念できる環境」の一層の充実を訴えている。

 「大学や研究機関では、短期的な成果を求めるあまり、研究の『独創性』『多様性』が損なわれる副作用が指摘されている」(産経7日付)、「(成果主義が強まった結果)地道で独創性のある研究がしづらい環境になっている恐れがある」(毎日6日付)。産経や毎日は昨年、性急な成果主義や効率だけを考えることの弊害に言及したが、今年も産経は「短期的な成果や経済への波及効果が重視される傾向にある今の日本の研究環境で、半世紀後の栄誉につながる独創は育まれるだろうか」と疑問を投げ掛けたのである。

◆教育面からの考察も

 毎日は「大隅さんのような基礎研究は産業につながる成果が見通せない。流行も出口も考えない基礎研究に時間と費用をかける余裕の大切さを示した受賞といえるのではないだろうか」と結ぶことで、経済成長への貢献に傾斜した内容の政府の「第5期科学技術基本計画」の不十分さを指摘している。

 これらの指摘は正鵠(せいこく)を射ていると言えるとしても、今年はさらに深化した内容や新しい視点を加えたりしているわけではない点では物足りなくもある。雑誌などでは、受賞者のほとんどが高校、大学を私立ではなく公立出であることに注目し、受験で無駄な科目も勉強してきて育った資質が研究の独創性や多様性につながったとする教育面からの考察(評論家・八幡和郎氏「WiLL」2月号)なども出ているのだから。

(堀本和博)