学テ活用論に宗旨替え?発表の遅れを「学習改善に影響」と叱る朝日
◆根を張る「平等主義」
「オール3事件」というのが1970年代にあった。東京都下の小学教師が5段階評価は「不平等」として児童の通信簿をオール3とした。これには競争に批判的な日教組教師らの喝采を博した。
この「平等教育」はどうなったか。5や4の評価を受けていた子はやる気を無くし、3だった子は上を目指さず、1や2の子はやらなくても成績が上がったので、ますます勉強しなくなった。かくしてオール3の「平等」は学力を限りなく下方に向かわせ、旧ソ連の「貧困の平等」を地で行った。
戦後の教育界にはこうした「悪しき平等主義」が根を張っていた。典型例が日教組の学力テスト反対闘争だ。1961年に文部省が全国学力テストを実施したところ、北海道旭川市で組合教師が学校を閉鎖する事件を起こすなど各地で過激な闘争が繰り広げられた。結局、学力テストは日教組や朝日など左翼メディアの反対の声に押され、東京五輪の64年に廃止された。
それが43年後の2007年に復活した。「ゆとり教育」で学力が低下したと批判されたからだ。これによって初めて地域や学校の学力が明確になった。それを学校現場はどう受け止め、子供の学力向上にどう生かすか、新聞では有効活用論が大勢を占めた。
ところが、朝日は反対し続け、テスト結果が公表されると、「これならもう要らない」(07年9月25日付社説)と言ってのけ、「ほかの調査ですでにわかっていた傾向が大半」「全国一律に調査する意味はない」などと論じた。
◆反対闘争の愚棚上げ
この主張がいかに筋違いだったかは今年の全国学力テスト結果(9月29日発表)で浮き彫りになっている。例えば07年に全国最低だった沖縄県はトップの秋田県に校長や職員を派遣して研究し、今回は小学算数Aで4位、小学算数Bで11位に躍進した。他県も努力を重ね、「過去に低迷した自治体の伸びが目立つ」と文科省は分析している(読売9月30日付)。全国テストの成果の現れだろう。
では、朝日は今回の学力テストをどう見るのか。30日付社説「本当の力 測れているか」はこう言う。
「本来は例年どおり8月末には数字がまとまるはずだった。ところが、中3の採点を担当した業者の集計ミスが直前になってわかり、延期されていた。教育委員会や学校が待ちぼうけを食わされた――という、単純な話ではない。調査の目的は、教育施策を検証し、指導の充実や学習の改善にいかすことにある。それが動きだすのが1カ月遅れた。子どもたちの学びにも、それだけ影響が出たことになる」
いやはや驚いた。集計ミスで発表が遅れ、指導や学習に支障を来すと叱っているのだ。もう要らないとは様変わりの論調だ。学力テスト再開10年を経て、ついに宗旨替えに至ったということか。
それでも未練がましく「1960年代の学力調査は、成績のふるわない生徒を当日休ませるなどの行為がはびこり、結局、中止になった。そんな愚を繰り返してはならない」と、旭川事件のような日教組の反対闘争の愚は棚上げにして、学力テスト自体が間違っていたかのように書いている。事実の捻じ曲げだ。
◆是正策に踏み込む読
確かに一部に「点数をあげることが自己目的」(朝日)となっているきらいもあるが、何事にもそうした負の側面はある。それを是正、克服していくのが世の習いだ。社説が問題点を指摘するなら、そこを掘り下げる記事があってしかるべきだが、それが朝日紙面には見当たらない。
その点、読売30日付「全国学テ10年 学習支援が今後の課題」は、「今回初めて経済状況が苦しい家庭の子の学力と指導法の関係を調査しており、今後はそうした子の学習支援が課題になる」と指摘し、教育格差の是正策に踏み込んでいる。
読売によると、文科省は来年度、就学援助を受ける子が2割以上いる公立小中学校のうち、正答率が低い約1000校に学習支援の専任教員を配置する対策に乗り出すとしている。
こんな記事こそ平等教育を褒めそやす朝日にほしいところだが、安倍政権の評価につながるからか軽視する。学力テスト反対派だった朝日は潔く白旗を揚げるべきだ。
(増 記代司)





