夫婦同姓「合憲」にもめげす“別姓誘導”続ける民放の偏向度

◆別姓論者を選ぶ番組

 最高裁が「夫婦同姓」は合憲との判断を示した。その判決が出る前、夫婦同姓は時代遅れで女性差別だとの論陣を張ったメディアが多く、安保法制の時のような偏向報道にうんざりさせられた。そこで、合憲判断が出た後、テレビの報道番組はどんな反応を示すのかとウォッチしていたら、ゲスト・コメンテーターには別姓論者を選び、相変わらずの別姓への“誘導”報道を展開していたのには呆れてしまった。

 まずはBS11の「報道ライブ21 INsideOUT」。最高裁大法廷が初の憲法判断を示した翌日(17日)、ゲストとして招いたのは参議院議員で社民党副党首の福島みずほ。事実婚を長年続ける別姓論者で、この女性政治家が画面に映っただけで番組の趣旨が分かろうというもの。

 キャスターの露木茂が夫婦同姓になったのは明治31年で、まだ歴史は浅いという趣旨の話をした。すると、福島は「よく夫婦同姓は日本の文化・伝統だと言われているが、実は日本の文化・伝統は別姓」と述べて、源頼朝の妻、北条政子の名前を出したので「この社民党副党首はいつから復古主義者になったのか」と、わが耳を疑ってしまった。

◆現代も同姓が有意義

 実は、北条政子の名前は前夜にも聞いた。テレビ朝日の「報道ステーション」で、コメンテーターの北海道大学大学院准教授の中島岳志が福島と同じことを言っていた。

 「夫婦同姓が決まったのは明治民法で、1898年(明治31年)。それ以前は、日本は夫婦別姓」と述べ、その例として北条政子の名前を出したのだ。発言の趣旨からすると、中島も夫婦同姓は時代遅れだと思っているようなのだが、「選択的」も含めて夫婦別姓支持者らの間では北条政子を例に出すのが別姓正当化手段の一つになっているのだろうか。

 それは別にしても、両番組に共通するのは、日本が夫婦同姓になってまだ100年あまりで、その前は別姓だったから、同姓が日本の文化だというのは間違いという論理だ。しかし、結婚制度の在り方は、歴史が長い、短いの問題ではなく、同姓と別姓のどちらが家族の幸せと社会の発展をもたらすのか、という洞察力の問題である。

 露木も中島も、夫婦同姓の背景には家制度があると言った。戦後の民法で、家制度がなくなったのだから、「(同姓を続けるのは)現実にはないものを追いかけている感じがする」(露木)というのだ。さらには、「家族、家を一つの単位として統治していくために、夫婦同姓が便利だった」(中島)という見方も示した。

 だが、家制度がなくなったから、夫婦同姓が時代遅れになったというのは論理の飛躍である。また、国家による統治の観点からだけの分析では一面的でもある。

 夫婦同姓が現代社会においても有意義であることは、最高裁が明確に認めている。「現行の民法の下でも家族は社会の自然かつ基礎的な集団単位と捉えられている。その家族の呼称を一つに定めることに合理性がある」と。そして、夫婦だけでなく「子供もその利益を受ける」と述べている。

◆改姓で尊厳失われず

 夫婦別姓支持に偏向したテレビ局が多い中で、時流に流されない発言を行ったのは作家の曽野綾子。BS日テレの「深層NEWS」(16日放送)に出演。この日のテーマは「日本人への警鐘」で夫婦同姓問題が本筋ではなかったが、最高裁判決が出たということから、司会者が番組冒頭、「事実上、夫の姓を名乗らなければならい形になっていることに対して、若い人の中には、アイデンティティーを侵されるように思う人もいる」と、曽野にコメントを求めた。

 すると、「私ね、アイデンティティーはそういうふうに思わない。仮に、私が何かのことで刑務所に入りますね。日本にはないかもしれないが、外国では囚人番号で呼ばれる。でも、神の前では私のアイデンティティーは失われない」「曽野は旧姓でもない架空の名前。それでも、私は私でしょ」と、歯切れがいい。

 改姓によって喪失するほど、人の尊厳は軽くないということだろう。父子関係を明確にするための再婚禁止期間について、福島はDNA鑑定があるから「なくてもいい」と持論を述べたが、そんな単純な発想から結婚制度を変えたのでは日本の将来を危うくする。(敬称略)

(森田清策)