慰安婦誤報で初のお詫びも「付け足し」謝罪と批判を浴びる朝日社長
◆追及足りない大問題
小欄が「『慰安婦』誤報で謝罪せず火だるま状態の朝日――」を掲載した今月11日に、朝日新聞の木村伊量(ただかず)社長は謝罪会見を行った。
この日に政府が東京電力福島第1原発での「吉田調書(聴取結果書)」全文を公開した。ために、朝日新聞は誰が読んでも一目瞭然となった「吉田調書」記事の誤りを認め取り消した。そして、慰安婦報道について先月5、6日の検証特集で「国による強制連行があった」とした吉田清治氏の証言が虚偽だったと認め16本の証言に絡む記事取り消しをしたが、社長会見や謝罪はしなかった。このことの傲岸(ごうがん)不遜さが批判を浴びてきたが、今回の社長会見で、ついでに慰安婦誤報取り消しの遅れたことを初めてお詫びした。
だが、朝日社長のお詫びは、慰安婦誤報に加え「吉田調書」誤報などでの火だるま事態がどうにもならなくなったために、国民にではなく、読者に対して仕方なく謝罪した感が拭えない。それにも増して、慰安婦誤報についての謝罪が会見の付け足しのように軽く済まされたことの問題を見逃すことはできない。さらに、特に日本及び日本人が被った被害回復のための具体的行動が誠実に果たされるまで、責任追及の手をなお緩めてはならないのである。
朝日の誤報は新聞の信頼性を揺るがす問題である。にもかかわらず、新聞には当事者意識に立って問題を掘り下げる言論展開の熱意が欠けた。これらの問題について社説(12、13日)では批判したものの、識者の寄稿やオピニオン等でも積極的な展開を見せたのは産経、読売ぐらいというのは少し情けない。
◆偽史実に怒る産経抄
日本文化大学学長の大森義夫氏は「朝日の社長謝罪会見(11日)はまずタイミングが悪い。政府が『吉田調書』を公表する日にわざと合わせてニュースを小さくしようとしたという酷評もあるが、せめて1日前にしておけば『自主』の心根は残せただろうに」(産経21日「新聞に喝!」)と会見のタイミングの悪さを皮肉る。
慰安婦報道の誤報謝罪が付け足しのように行われたことへの批判は、多様に論じられた。「今回の社長記者会見は吉田調書問題での謝罪が主目的であり、慰安婦問題でのゴメンナサイは従、つまり、付け足しである」(防衛大名誉教授・佐瀬昌盛氏=産経17日「正論」)、「木村社長の謝罪会見にしても、慰安婦問題での謝罪は吉田調書報道問題での謝罪と抱き合わせで、付け足しのようにも思える」(麗澤大・八木秀次教授=産経15日「正論」)などというもの。ちなみに、付け足し謝罪の印象については、11日当日の「報道ステーション」(テレビ朝日)でも、古舘伊知郎キャスターが番組の中で同様のコメントをしているのである。
だが、日本の国益を損なった度合いでは、長期にわたるキャンペーン報道を展開した慰安婦報道の方がはるかに大きいことは明らかだ。産経抄(13日)が「『吉田所長調書』記事もひどかったが、慰安婦報道の方がはるかに国益を損なった。『日本軍は20万人の女性を性奴隷にした』という虚偽の『史実』を世界中に流布されるきっかけをつくったのが、一連の朝日の慰安婦報道だったことへの反省がまだまだ足りぬ」と説教する通りなのである。
先の佐瀬氏は「朝日の長年のキャンペーンで性奴隷許容国家説が国際的にかなり行き渡ってしまったからだ。国連のクマラスワミ報告一つをとってみても、それは明瞭だ。だから吉田調書誤報よりも慰安婦虚報の謝罪こそ、朝日はより真剣になるべきだった」(同)と、問題の深刻度の判断を誤った朝日の付け足し謝罪を批判したのだ。
◆罪隠すキャンペーン
さらに辛辣(しんらつ)な批判もある。社長会見そのものを分析し、その意図の悪質さに言及した拓大の藤岡信勝・客員教授は「私の評価は、ひと言で言うと、原発事故絡みの誤報謝罪を隠れみのにして慰安婦問題の温存をはかった、巧妙で悪質な会見」(夕刊フジ14日「朝日の大罪」)だと断罪するのである。
最後に話は変わるが、識者のこんな指摘も紹介しておきたい。「慰安婦問題について朝日新聞は、強制連行はなかったと認めつつ、強制性はあったとしている。それなら、狭義の強制と広義の強制を区別しようとした第1次政権の時の安倍首相の主張と同じではないか」(国際大学・北岡伸一学長=読売21日「地球を読む」)。虚偽証言であえなく崩壊した朝日の慰安婦報道キャンペーンは、いったい何だったのか。
(堀本和博)