拉致監禁裁判でもコミット 郷路氏
「青春を返せ裁判」法廷証言から(11)
原告側はマインド・コントロール理論という“宝剣”を得て、裁判に活路を見いだした。
「青春を返せ訴訟札幌では、統一協会の布教過程に存在する事実を確認する作業が綿密に丁寧に行われました。事実の聞き取りは、週一回、二~三時間、十人ほどの人たちに対して、数年間にわたって行われ」(『自立への苦闘』)たと言う。
平成9(1997)年前後に、被告代理人による原告への反対尋問が始まったから、郷路弁護士が言う「数年間」は、93年から97年ごろの数年間に当たる。マインド・コントロール論で勢いを得て、「聞き取り調査」をしゃかりきに行った、その様子が目に浮かぶようだ。
だが、これらの学習は結局“付け焼き刃”ではなかったのか。井上しげ子さんの一連の証言(連載(8))や、青山ひとみさんの「監禁された当時から(マインド・コントロールされていたと)思ってました」(同(9))というような珍妙な証言が幾つも見られる。
マインド・コントロールされていた、解かれたと言い募れば募るほど、拉致監禁の事実が浮き彫りになってきたと言える。
原告の一人でマインド・コントロールされていたと言う谷口智子さん(仮名、自然脱会)は、被告側代理人尋問で、代理人に「ちょっと指摘されただけで、さっとこう考え方がからっと変わるのは、私たち常識から考えてもマインドコントロールされてるように見えないんだけども、それでもあなたそう考えられるの」と問われた。しかし谷口さんから、明確な答えは得られなかった。
そして、判決では原告・元信者たちがマインド・コントロールされたかどうかについての言及はなかった。むしろ原告らが信者の時、献金や各種活動で、任意の選択が働いたことを認定したのである。
また、同様の青春を返せ裁判では、名古屋、岡山、神戸地裁で原告側が敗訴した。しかも「原告らの主張するいわゆるマインド・コントロールは、それ自体多様的であるほか、一定の行為の積み重ねにより一定の思想を植えつけることをいうととらえたとしても、原告らが主張するような強い効果があるとは認められない」(名古屋地裁判決)と、マインド・コントロール論は否定されたのである。
一方、郷路弁護士は「青春を返せ」裁判の審理が始まる前後の昭和62(1987)年、強制棄教のため札幌市内に監禁された京都大学学生(当時)の吉村正さんが人身保護請求を出した裁判で、被告側の代理人を務めた。
既に当時から、強制改宗、拉致監禁絡みの裁判に弁護士の立場でコミットする中心人物だ。青春を返せ裁判でも、バイアスのかかった見方があったのではないか、ということを視野に入れておくべきだ。
(「宗教の自由」取材班)