「おれは甘っちょろくない」と脱会屋
被害者の体験と目撃現場(16)
監禁から2、3週間が経ったが、何のらちもあかない。舞さんは両親に「会わせたい人がいるなら連れて来たらいい」と言った。すると早速、翌日、脱会屋の宮村峻氏がやって来た。舞さんに向かって「俺、知ってるか? 宮村だ」と、いきなり強面ぶりをあらわにしたもの言いをした。
初対面の舞さんが無反応でいると「何だ、知らないのか、おまえ、もぐりか」と、知らないと決め付けて一方的に責め立ててきた。それでも、舞さんはいっさい口を開かなかった。
「何だい、威勢よく『会わせたい人がいるなら連れて来い』と言っておきながら、だんまりか?」とか「(TBSの)下村さんのインタビューでは、活発に話していたが、場所が変わると何にも言えないのか」と挑発する宮村氏。オレの気を削いだつもりだろうが、すべてをお見通しなんだ-と言いたげな傲岸さだった。これから説得強要する相手に、弱みを見せてはならない、という宮村流の立ち振る舞いだった。
舞さんは「ああ、やっぱり前日、私が言った、そっくりそのままの内容が、宮村の耳に入っているのだ」と、苦々しい思いでいた。
協会の悪口や個人攻撃が続いた。「保険料を払ってないんじゃないか、確定申告なんかしたことないだろう。税金払ってるのか、税金を払ってないやつらに人権を語る資格はないぞ。統一教会は宗教なんかじゃない」などと暴言を畳み掛けるように吐き続けた。違法監禁下で悲嘆に暮れる目の前の人間に思いをいたすことなど毛ほどもなかった。
続けて、舞さんの最初の拉致監禁に関与した牧師や元信者らの脱会説得活動をあざ笑うかのごとく言い放った。「彼らがやっているのはまねごとだ。あんなものは頼りにならない。おれはそんな甘っちょろくないぞ。いつまでも話さなければ、ずっとこのままだ。時間は十分あるんだから、いつまでも好きなだけ居ていいよ。両親だってそのつもりだ」と。
すると、母親が大きくうなずいていた。舞さんは両親を信頼していただけに、それを見た時のショックと憤りは言葉に表すことができなかった。「私の知らないうちに、赤の他人であり私のことを何も知らない宮村という人間を、何でここまで信用し、崇めるまでして、私の人格を一方的に、しかも暴力的手段で否定するのか」と叫びを発したかったという。
「両親は、私とひざを交えて一度も話したこともないのに、私のことについて、この人間の言っていることなら何で100%信じるのか」とも思った。裏切られたという気持ちと「私のことを心配しているのなら、真っ先にそのことを私に言えばいいじゃないの」という悔しい思いが胸一杯にふさがった。
拉致監禁に協力したおばが、宮村氏と監禁部屋で会った時、おばが「宮村さんの言うことは正しい」ともっともらしく言うのを聞いた時には「親族まで宮村に教育されてるんだ」とあきれる一方で、絶望に沈んだのである。
(「宗教の自由」取材班)