親戚3人が加わり連れ出す
被害者の体験と目撃現場(14)
父親の平手打ちは「ひっぱたいても連れて来い」という脱会屋・宮村峻氏の指示通りの行動だった。成人女性1人を、自宅から強制的に連れ出すのでも決して容易なことではない。暴力で威嚇し「もう逃げられないんだ」「抵抗してもむだだ」と恐怖感を植えつけ、抵抗をする気力を萎えさせるというやり口だった。
父親に髪を引っ張られた時、舞さんは、2階から茶の間に下りてきて壁ぎわの椅子に座っていた弟と目が合った。しかし、彼の目には舞さんに対する同情が一切入っていないことが瞬時にわかった。舞さんは、もうだめだと観念した。
両親と弟によって外に連れ出された舞さんは、いつの間にか用意されていた見覚えのないワゴン車に乗せられた。おそらく2階の部屋に潜んでいたのだろう。弟と同じ年頃のいとこの男性や、おばら親戚3人が加わり、舞さんは西東京市の自宅から荻窪のアパート2階に連れられていった。
両親は、拉致監禁の手順について、水茎会の事務所があった南荻窪の西央マンションで、脱会屋の宮村氏と入念な打ち合わせをしたに違いない。親戚にも手助けを求め、彼らはそれに応じた。娘を威嚇する行為やただちに他の家族や親戚を使って自宅から連れ出す手際は驚くべきものだった。
「いったん保護説得が始まれば相手も命がけで信仰しているので家族も命懸けの決意をもって臨むこと」(弟の陳述書)という宮村氏の“指導”を生真面目に実行していた。後ろで操る“黒幕”脱会屋の家族らに対する支配力、影響力は絶大で、右と言えば右、左と言えば左を向くという状態だった。
後藤徹氏の民事裁判で、ルポライターの米本和広氏が「青春を返せ訴訟」(後藤徹氏の兄らが脱会後に原告となり、協会に損害賠償を求め提訴した訴訟)の原告代理人だった伊藤芳朗弁護士にインタビューした内容を綴り提出した陳述書がある。その中では、拉致監禁にいたる顛末を次のように記している。
<脱会説得者(筆者注・脱会屋)たちは相談にやってきた信者家族にまず勉強会で勉強するように指示する。勉強会に参加していく過程で、家族・親族の間で「保護(拉致監禁)説得」の意志が固まると、脱会説得者と個別の相談となる。マンションは4、5階以上、監禁中の食料など事細かに指示するのは、経験者である元信者の親であることが多い。つまり、脱会説得者に逮捕監禁の罪が及ばないように配慮されている。拉致の過程や監禁説得の過程で、警察などに問われると、「親子の話し合いである」と釈明する>
舞さんの両親のケースも、右に同じと言っていいほど同様だった。ただ、監禁場所が「4、5階以上」でなく2階だった。舞さんの帰国の連絡が急だったため、宮村氏が把握していた拉致監禁用の部屋に空きがなく、急遽、荻窪にアパートを借りて決行したためだった。
その後、舞さんは、監禁用に準備した本命のマンション5階に移されることになる。
(「宗教の自由」取材班)