社会復帰にまず歩行訓練
被害者の体験と目撃現場(9)
監禁された6カ月の間、入浴やトイレ以外はずっと一室にいて、横になったり本を読んだりしていただけだった舞さん。外界の光を浴び、大地の感触を得て一歩前に踏み出そうとしても、足が引きつり、けいれんを起こしそうで、思うように歩けなかった。ふくらはぎは筋肉がほとんどなくなり、足が棒のように細くなっていた。
社会復帰には、まず歩行訓練から始めなければならなかった。時間を見つけては歩くよう努めたが、最初の散歩は友人に脇を抱えてもらいながら、ようやく歩を進める始末だった。
一方、精神的にも両親に監禁されたショックや、「また連れて行かれるのではないか」という不安感、恐怖心がつきまとった。仕事がまったく手につかず、職場に復帰してすぐ長期休暇を願い出た。それまで、親に隠し立てするようなことはなかったが、この時は新しい住居も連絡先も知らせなかった。
それでも「ここまで捕まえに追いかけてくるのではないか」という思いがどうしても抜け切らなかった。わずか数カ月の間に住まいを幾度も変えた。その後、精神的に少しずつ安定してくると、職場に復帰し住む所もひとところに落ち着くようになった。
解放された翌92年夏には、3万双合同結婚式がソウルで開かれることになった。舞さんは事前に両親に職場まで来てもらい、式に参加する意思を伝えるまでになった。
舞さんは韓国人男性と結ばれた。この時の合同結婚式には女優の桜田淳子さんらが参加し、マスコミの話題をさらった。
協会本部にはマスコミの取材が殺到した。この年の秋ごろ、TBSから拉致監禁で被害を受けた信者を取材したいとの申し入れがあり、舞さんが応じることになった。
その時、舞さんは1年前まで監禁されていた西荻窪のマンションなどの撮影に協力したり、近くの公園でリポーターの下村健一さんからインタビューを受けたりした。TBSは、日曜日の礼拝にも来て、その様子を撮影していった。
インタビューでは、拉致監禁のこと以外にマスコミが批判していた「霊感商法」問題についても意見を求められた。舞さんは、いっさい関わっていなかったので、その通り答えたが、年末に放映された番組の中では、その箇所がカットされていた。編集段階で、脱会屋の宮村峻氏が「この部分はまずい」と指摘したので、その通りになったのだと、のちに2回目の監禁中に当の宮村氏から聞いたという。
舞さんは翌93年2月、韓国で家庭を持つ準備のために渡韓し、入籍も済ませた。その後、夫を紹介するために両親に韓国まで足を運んでもらったり、協会主催の日本人向けの勉強会に母親を呼んで泊りがけで出席してもらったこともあった。
ところが、後日、母親に聞かされたのは、これらの渡韓は、宮村氏に相談し、「(舞さんの)警戒を解くために行った方がいい」とアドバイスを受けたためだったという。本当は行きたくなかったのに、宮村氏の仕切りで仕方なく出向いたというのである。
(「宗教の自由」取材班)